埼玉県川越市 に産まれる →白鳩幼稚園 →月越小学校 →桜南小学校 (茨城県 つくば市へ移動) →茗渓学園中等部 →茗渓学園高等部 →駿台予備学校 →宅浪 →北海道大学文2系 (札幌市へ移動) →北海道大学文学部行動科学科基礎行動学専攻 →北海道大学大学院文学研究科修士課程行動科学専攻 →北海道大学大学院文学研究科博士後期課程行動科学専攻 →北星学園大学社会福祉学部福祉心理学科 →宮城教育大学教育学部学校教育講座 (仙台市に移動) ・・・現在にいたる(大昔の著者近影写真 そして,現在の私その1と その2 、そしてやや?悪人顔 [2003年3月末撮影]、 卒業式後の一コマ[2006年3月末撮影]、 44歳+α[2012年8月9日撮影] 。 昔から人相の悪い老け顔でしたが,だんだん年期が入ってきましたね。 研究者としてのキャリアというよりも、 宮教大での生活が長くなるにたがって人相が悪くなっていくような気が…)。 大学生の頃はAIESEC(和名:国際経済商学学生協会)という怪しいサークルでLCPというのをやってました。 高校生の頃は「アホの集団」という団体で映画を撮っていました。
大学の先生はヒマで気楽でイイ加減だと思われていますが、自分としては意外と働いているような気がします(「イイ加減」の部分についてはあまり否定
しませんが…)。根をつめてやりたいときは好きなだけ徹夜できるというウマ味?があるので、傍から見ると気楽そうに見えるのかも知れませんが、それなりに
働いているような気がします。
あと、講義も演習も教科書を使わないので、資料は全て自前で用意しなければなりません。
当たり前といってはなんですが、これは結構キツイことかも…。
学部: (水2)[部分担当]発達と学習の心理、 (木1)教育の方法・技術b、 (木3-5)[部分担当]教育心理学実験実習、 (木4)[部分担当]教育心理学研究実習、 (金1)教育心理学実践研究A・B
教職大学院: (火4)学校教育教職研究A, (ゼミ:5期生:第3金曜日)遠藤 (ゼミ:6期生:隔週水曜日) 小野寺、宮城島
学部: (月4)3年生ゼミ, (火1)[部分担当]発達と学習の心理学, (金2)教育心理学研究法
教職大学院: (ゼミ:6期生:隔週水曜日) 小野寺、宮城島 (ゼミ:5期生:第3金曜日)遠藤
宮教大の番号は11302、部局名(教育学部)は101、個人コードは50312690です。 基盤研究(C)の英語訳は、Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
今のところは特にありません。。。たぶん(笑)
日記を書いて定期的に更新したらというアドバイスをいただいたので、ここにこっそり書いてみます。 ( 震災関連の備忘録 )
コメントなど続きはFacebookまでよろしくお願いします。
少し長くなったので, 新年度に備えて別のファイルに移します。
新年あけましておめでとうございます。
と,すっかり新年の幕が開けた頃に書くのもあれですが,今年もつつがなく年を越せるよう頑張りたいと思います。
さて,確かな情報か分かりませんが,どうやらWindows 9が2015年の4月あたりにリリースされるようです。
http://www.neogaf.com/forum/showthread.php?t=749906 At the BUILD developer conference in April 2014, Microsoft will discuss its vision for the future of Windows, including a year-off release codenamed "Threshold" that will most likely be called Windows 9. Here's what I know about the next major release of Windows.
Windows 9. To distance itself from the Windows 8 debacle, Microsoft is currently planning to drop the Windows 8 name and brand this next release as Windows 9. That could change, but that's the current thinking.
羊頭狗肉というか単に名前を9にしただけのものになるような気がするけど,どうなるのでしょうか。特にインターフェースがどのように変わるのかが気になります。 もちろん自作の実験プログラムが走らなくなるかどうかも気になりますが(笑)
やはり,「ある道具をうまく使えなかったら,それはあなたのせいではなくて道具のデザインが悪いせいである」というコメントが 認知心理学関係で有名な本の 「 The Design of Everyday Things (誰のためのデザイン?—認知科学者のデザイン原論 :ドナルド・A. ノーマン ) 」 に書いてありましたがその通りじゃないかと思います。
ハードウェアの進化やソフトウェアの進化に伴ってOSに新しい機能が盛り込まれるのは当然だけど,それに伴ってインターフェースも変更しなければならないという理屈は成立しないと思うのです。実際にタッチパネルはタブレット型でしか使わない機能だし…。
Windows 9になってまた新たにMetro 2.0.というsimple, clean, modern(笑)なUIが促進されるような気がしますが,そうなったら,思い切ってマックに乗り換えようかなぁ・・・。
実際にいま使っているpanasonicのLet's noteが 起動すると異音を発しているので(多分HDD?), そろそろ買い換え時に差し掛かっているのかもしれません。 新に買い換えるのもLet's noteなのか, はたまたマックなのか,それともダイナブックなのか… お金がないので考えるだけですが(泣)。
ちなみに,DOSを含めたWindowsのリリースはこんな感じです。 個人的に印象に残っているバージョンだけ書いておきます。 感慨深いですね。
1981年 MS-DOS 1.25 1984年 MS-DOS 3.0(このあたりのバージョンからPC−9800Fで作業してました) 1991年 IBM DOS 5.0 / MS-DOS 5.0 (AT互換機に広く採用) 1990年 Windows 3.0(かなり酷かった) 1992年 Windows 3.1(WindowsといってもMS-DOS上でWindows3.1が動作するという二重構造) 1995年 Windows 95(ネットワーク機能が充実され“インターネットする”という言葉がでてきた) 1998年 Windows 98 1999年 Windows 98 Second Edition (宮教大に赴任したときに使っていたPC) 2000年 Windows 2000(NT 5.0),Windows Millennium Edition(悪名高きMEは2000とは別物) 2001年 Windows XP(ニュースでも報道されているXP) 2003年 Windows XP 64-bit Edition 2007年 Windows Vista 2009年 Windows 7(情報処理センターや研究室,や自宅で現在利用しているOS) 2012年 Windows 8(研究室のPCを新規購入するときに7か8かで迷ったけど,嫌な予感がしたので7に決定) 2013年 Windows 8.1(あまりにも評判が悪かったのでUIを修正した?)
蛇足ながらネットの歴史はこちらにも書いてあります。 ずっと放置しておりますが,上記の年表を補足としてください。 ちなみにWindows 8.1は“ダメ”なOSなのか?という特集記事がありましたが, このような特集が組まれること自体 使い勝手の悪い駄目OSである証拠のような気がします。
検索サイトを使った調べ学習が当たり前のようになってきている現在で, これからGoogle がどこに向かっているのか, を考察するのは非常に重要なことかもしれません。
ただ,ふと思うのは,震災時の停電のときの平穏さ(笑)
大変だったけど,普通に暮らすために本当にICTが必要なのかなぁと素直に感じました。寒かったけど,星空はとってもキレイだった。
閑話休題。 たぶんこのあたりから推測すると,google+を経由して写真や動画とかニコ生的な利用を啓蒙…どうなんでしょうか。 おそらく上記の人は イノベーター理論におけるアーリーアダプターを想定して, google+がそろそろいい感じに仕上がってきているようなことを言いたいんだろうと思うのですが, モノグサな人間としてはfacebookだけでお腹いっぱいで,google+なんてmixiくらいどうでもいい存在じゃないかと思うのですが。
ということで,google+に力を入れようとしているんだけど,その努力は適わないような気がします。と,勝手に思ってます。 しかし,google+に関して言えば,諸刃の剣というか勝ち目のない勝負のような気がしてますが,もしかしたらgoogle+に書き込まれる属性データを使って検索精度を高めるとか…その情報を元にして広告に役立てるとかは企んでいるのかもしれません。
でも,これらは隠れた野望と言うよりは見え見えな計画で,誰でも気がつく話ですよね。しかも,google+が失敗に終わったら頓挫する話だからあまり景気のいい話ではないような気がします。 個人的にはwearable computerの路線が,格好いいんじゃないかとチラッと思ってますが… 本学でも学生向けに提供されているGmailがサービス面で増強されるというニュースが公開されています。 結局,google+でなくGmailのような普通のサービスを増強させた方が利用者にとっては喜ばれるんじゃないかなぁ。
と,どうでもいいような独り言を書いてしまいました。 2年続けて隠密の仕事をしたり,JICAの引率・アドバイザーをしたり (これはまた来年もある 泣),某隠密の仕事をしたり…,と,色々とストレスが溜まっているのかもしれません。 他にも,豊里小中学校に視察に行った結果をまとめて, T先生が関係している国際学会のアブストラクトを今月末までに仕上げなければ… というか,例の試験の前に教育心理学研究法の質問紙とコンピュータ統計の質問紙, 合わせて10種類(総計:100枚×10種類=1000枚!!!)週末に印刷しなければ… その前に,E先生の研究授業の指導助言が金曜日にありますた! グモモ
デマの発生とその拡散というメディアリテラシーの観点でまた非常に面白い現象が起きているようです。
山本太郎参院議員が秋の園遊会で天皇陛下に何も考えずにに直訴?の手紙を渡してしまった事件があったわけですが, それに対して本当の完全なる人間違いである 山本一郎氏に対して山本太郎氏への罵声抗議メールが沢山送りつけられたわけです。 まぁ,ご本人にとっては迷惑以外の何物でもないとは思いますが,
名前が似ているというだけで、天皇家の冒涜者だ不届き者だとクソメールを送りつけられるのも辛いので、一斉に「私は山本一郎であって、山本太郎ではありません」というメールをお返しするわけですよ。そうするとですね、「嘘だ!」とか「いまさら言い逃れをする気ですか」とか「似たようなものでしょう、謝罪してください」などというメールが返ってくるわけです。心がね、痛むんですよ。この謂れのない批判の山の前に呆然とする可哀想なわたし。
この様に攻撃する権利はどこにあるのでしょうか? 前回も書いたような同種の怖さ・不気味さがあるように感じられます。
これはメディアリテラシーの問題なのか,道徳なのか…道徳なのでしょうか?うーむ。
ところで,ネットがらみの問題として大学レベルでもコピペの問題が沢山発生してますが, あらためて考えるとこれは深刻な問題になりつつあるのではないかと感じられてきました。
以前科研費を使って検索サイトを利用した学習を調べていたことがありましたが, このときは既存の知識を使った検索行動のメカニズムに特化した研究を行っていました。 しかし, 「教科書を写す作業は、まだ前頭葉を使っているけど、コピペはほとんど反射なので駄目です」 という意見では,単なるコピペと転写の違いを説得的に批判するのは困難な気がします。
この場合は,引用とコピペの違いとして説明した方が適切ではないでしょうか。
引用を行う場合には,前頭葉を使うというか「自分なりに要約をして自分の意見の補助として引用する」 という目的があるわけで,これだと単なるコピペでないのは明らかです。 つまり,楽をするためにコピペするのではなくて自分の論文を際立たせるためにコピペするので,むしろ積極的にコピペすることを推奨することができるようになるわけです。
このあたりのサイクルは,梅田望夫さんの「 ウェブ時代をゆく」 の中に出てくる「学習の高速道路と大渋滞」という話と少し似ているのかもしれないと,ふと思いました。 要するに,効率よく勉強するのと同時に, 自分で大渋滞から抜けだすための方法として適切に引用できる知識や技量が必要になってくるんじゃないかと,チラッと思いました。 つまり,引用の部分はコピペではどうにできない部分で, 自分なりに他者との違いを自分で創造できる力じゃないかと…ちょっと大げさな話かもしれませんが。
いわゆるネットリテラシーというものが存在すると思うのですが,ネットでにおける匿名性について勘違いしている人が意外と多いんじゃないかと思う今日この頃です。
例えば,ここ最近で有名なところでは「匿名ブログで「復興は不要」 経産省官僚、身元ばれ閉鎖」なんてものもありました。
復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいい——。2年前、匿名ブログに書き込まれた一文が、ここ数日、インターネット上に広まり、騒ぎになっている。閲覧者らが身元を割り出し、筆者が経済産業省のキャリア男性官僚(51)であることがばれたためだ。事態をつかんだ経産省も「遺憾であり、速やかに対応する」として、処分を検討し始めた。
この男性は経産省の課長などを務め、今年6月から外郭団体に出向している。復興に関わる部署ではないという。ブログでは匿名だったが、過激な書き込みが目立ち、仕事にかかわる記述から閲覧者らが身元を割り出したとみられる。24日午後から、実名や肩書がネット上にさらされた。 (匿名ブログで「復興は不要」 経産省官僚、身元ばれ閉鎖)
そして,これはごく一部で盛り上がっている話題だと思うのですが,以下のようなまとめサイトに書かれているような他人のプライベートな情報をアップロードしている人は本当に大丈夫なんでしょうか。
週刊誌でも芸能人などをネタに飛ばし記事が書かれていたりしますが,彼らは法的なトラブルが起きたときの対処法に熟知し,(たぶん 笑)覚悟もできてます。
一般のネットの情報は正確性に欠けるものもあったりするわけですが,信頼性を考えずにそういった情報に依拠して色々な意見が発表されるわけですね。意見というよりも無責任に煽っているだけにも見えなくもないかもしれません。
これは大変危険な行為ではないかと思うわけです。例えば,本当に正しい情報なのか確認できないのにも関わらず周りと同調して煽ると,訴えられたときには言い逃れができなくなるわけですが,そのときにはどうなるのでしょうか。
ネットにおいて匿名性を確保するためには,違法に入手したプリペイドの携帯を使ってデータ通信をやるしかないと思うのですが…そこまで本格的にやった上で遊ぶのであれば話は別ですが,残念ながらたぶんそうではないのでしょう。
近所に住んでいる人が写真を撮ってアップロードするなんて,あまりにもリスキーだから普通はしないから,たぶん,わざわざ現地に赴いて時間をかけて写真を撮っているんだろうと思うのですが…。
土下座写真をアップロードした人間もどうかと思うけど,この手の人たちもかなり怖い人ですね。 他人事ながら,ちょっと心配です。
今日,本学で行われた科研費の説明会で行われた五味勝也先生にならって,私の科研費の採択・不採択の歴史の回顧録を書いてみようかと思います。(自虐的?笑)
私の科研費関連の採択・不採択の歴史(1999年4月に宮城教育大学へ赴任) cf. http://kaken.nii.ac.jp/d/r/50312690.ja.html
要するに,上記の期間以外は外れていたわけですね。
赴任して初年度は当然のごとく外れてしまい撃沈の憂き目にあいました。そこからふと閃いて,教育工学的なアプローチで研究テーマを絞って実験研究をやり始めたら,流行に乗って?それが上手くいきました。
しかし,それもそんなに上手くいくわけもなく,どうしようかと思っていたわけですが,そこで何となく安易にICTの先進国であるシンガポールに何となく行ってみました。 そこで学習方略と学力に関して調査し始めたわけですが,勉強すればするほど忘れてしまうという現象を発見して,それが上手く科研につながりました。
んで,仙台市の教育委員会と協同で学力関係の研究を進めることになったのを切っ掛けとして,中一ギャップに関する研究を学習方略と学力と関連させて研究してみたら面白くなって,それで科研費が当たりました。
しかし!
2010年の3月にシンガポールに調査に行っていたところ,そこで意識不明の瀕死の状態になってしまい,事実上研究活動をリセットすることになりました。そして,ご存じのように2011年3月11日に東日本大震災になってしまい,大学の存在自体が危ぶまれるような状況になってしまいました(宮教大で初めて卒業式も入学式も無かった年でした)。
ということで,2010年3月から2012年3月くらいまで研究上では身動きが取れない空白の状態になっていたのかもしれません。
そして,まぁ,それでもしぶとく昨年は『中一ギャップと中一ジャンプ〜自己調整学習能力の発達的変化〜』というタイトルで挑戦して,A判定で…落ちたわけです。(泣) 詳細はコチラ
A判定というのは,上位20%に入っていたけど,「落ちました!」ということなのですが…結局,当たるか外れるかのどちらかしかないので,足りなかったところを反省して再挑戦します。
ちなみに,倒れていなかったら,日本学術振興会二国間交流研究者プログラムで,フィンランドのユバスキュラ大学に「受験圧の違いが学習目標の認識と学習方略の獲得に及ぼす影響 (The Effects of High-Stakes Tests on the Perception of Learning Goals and the Development of Learning Strategies: An International Study between Japanese Students and Finnish Students) 」というタイトルで行っていたはずだったのですが(2010.08.23-10.22)…まぁ,悔やんでも仕方がないですね。
震災を含めて,生きているだけ感謝しなければいけません。研究もそうですが,教育も頑張ろうと思います。 学内行政というか,色々とあるイインカイの方はほどほどにして働き過ぎに気をつけたいと思います。
Facebookに書きためていたものをまとめて少し更新してみようと思います。
少し前のニュースですが,これを読んでメディアリテラシーの話を思いだしました。 【スクープ最前線】韓国、末期症状 経済悪化で治安崩壊! 朴大統領の身辺に重大懸念
講義で情報機器の活用の関連でメディアリテラシーの話をする機会があるのですが,定義としてはこんなものでしょう。「情報の発信と受信のスキル全般を指す。古くは新聞やテレビニュースの批判的受容スキルを指す」
なぜこのようなリテラシーが必要かというと,マスメディアにおける誤情報は看過できないくらい頻度が高いものだからですね。 たとえば,こんな感じ↓ http://staff.miyakyo-u.ac.jp/~m-taira/2008_profile.html#2011.4.17 cf. 【 震災後、県民の不安を招く「流言飛語(確かな根拠のないうわさ。デマ。)」が広まっています。】
そういった中で,こういったニュースのように刺激的なタイトルのニュースの背景には,「それぞれの損得勘定」が存在しているように見えます。編集権という名目で記事化された情報は,必ず「誰かの損得勘定」を経由して入ってくると考えるのが穏当じゃないかとも思ったりします。
ちなみに,この記事を書いたフリーライターの加賀孝英氏はこんな方のようです。
とりあえず, メディアの人たちは「編集権」というのがあるので,報道する自由もある一方で,しない自由もあわけですよね。そこのところを真面目にチェックしだすと時間がかかって大変そうです。 そして,のあたりの信頼性や公平性に関して疑惑の念を持つ人が増えてしまって,マスコミ全般が軽視されつつあるような気もなきにしもあらず。
それで,最近のニュースでもメディアリテラシー関係で似たような現象が生じていました。
たとえば,麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細はこのような感じだったらしいです。 メディアリテラシーを考えさせる良い教材になりそうな気がするので,web魚拓もとってみました。
麻生太郎副総理が29日、東京都内でのシンポジウムでナチス政権を引き合いにした発言は次の通り。 web魚拓版: http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html
僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。
そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。
私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。
この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。
しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。
そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。
ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。
靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。
何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。
僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。
ちょっと長い引用だけど,以上が麻生さんの発言。 これが,以下のように編集されてしまうようです。 web魚拓版: http://mainichi.jp/opinion/news/20130807k0000e070189000c.html
熱血!与良政談:なぜ看過できないのか=与良正男 毎日新聞 2013年08月07日 12時40分
憲法改正に関連してナチスを引き合いに出した麻生太郎副総理兼財務相の発言は、本人からすればブラックジョークや毒舌のつもりだったように思われる。次のように補うと分かりやすくなるかもしれない。
「ある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね(と言いたくなるほどだ)」
改憲と国防軍の設置などを提唱している「国家基本問題研究所」(桜井よしこ理事長)の討論会での発言である。考えの近い人たちの集まりで気安さもあったろうと推察する。実際、この発言の直後、会場からはドッと笑いが起きている。
ただしウケ狙いの冗談でナチスを持ち出したとすれば、それはそれで国際常識を著しく欠いており、批判は避けられない。だからこの部分を撤回するしかなかったのだろう。
改めて指摘しておくと「ナチス憲法」という憲法はない。史実に反する勘違いである。さらにもう一つ、見逃せない点がある。
麻生氏は「憲法改正は落ち着いて議論することが重要」という。その通りである。だが、麻生氏のいう「落ち着いた議論」とは私の考えているものとは相当違うようだ。
麻生氏は討論会で自民党の憲法改正草案は「いろんな意見を何十時間もかけて作り上げた」と強調し、「ぜひ、今回の憲法の話も私どもは狂騒の中、わーっとなった時の中でやってほしくない」と語っている。ナチス発言の前段では首相らの靖国参拝についてマスコミが騒ぎにするのがおかしいとも言っている。要するに一番言いたかったのは、しっかり作り上げた自民党憲法改正草案に対し、マスコミや野党はわーわー騒ぐな、反対するなということではなかろうか。
独裁体制を築いたナチスを「あしき例」としてあげたと麻生氏は釈明するが、だとすれば、せめて「反対意見にも耳を傾けて静かに議論を進めたい」というべきだった。いずれにせよ「ナチスの教訓に学べ」との趣旨だと受け止めるのは難しい。
報道後、「発言の一部だけを取り出して曲解している」といった抗議のメールを多数いただく。しかし、これは民主主義とは何か、麻生氏がどう考えているのか、その根幹にかかわる問題である。(論説委員)
まさにメディアリテラシーの必要性を感じることができる,良い教材のような気がします。
「ナチス憲法」という憲法がないこと,そして,ワイマール憲法が「静かに」無効化されたわけでもなかったであろうことが事実誤認と考えたとしても,中盤部分でしっかりと「憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。」と言っていますが… それでも,毎日新聞は「「ある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね(と言いたくなるほどだ)」と,わざわざ括弧付きで言い換えているのが素敵(笑)。
他にも,たとえば,自分が新大久保でヘイトスピーチをする気は全くないけど,韓国で公然と日本に対してヘイトスピーチをしている現状に対して一般のマスコミは押し黙っているのは何故なんだろうかといった疑問があったりします。 例:ソウルからヨボセヨ 同じ100メートルでも…
NIE(Newspaper in Education)という活動が教育現場では盛んに行われているので,この新聞社はこういった風潮で書くけど,別の新聞社はまた違った話として書くと言うことを知るのが一般的になっています。だから,朝日と毎日,サンケイなど複数読む機会が…そこまでの予算が無いことも多いのが実情かもしれませんが。
ただ,こうやって電子媒体の新聞を手軽に引っ張ってこられるのも,検索サイトや2chのまとめサイトなどがあるからです。 検索したり2chのまとめサイトなどを読む場合は,自分が読みたいモノしか読まないから,やっぱり,子どもたちには紙ベースで色んな新聞や雑誌を読んでほしいと思います。 といった検索サイトを利用する場合の弊害に関する実験を, かなり前にやっていたのをふと思いまだしました。(笑)
追伸: 麻生さんの発言を引用している新聞(北海道新聞)を発見したので, 記念に魚拓にとっておきたいと思います。
安倍晋三内閣の閣僚や自民党幹部の一部が「終戦の日」の15日に靖国神社参拝を検討している。
稲田朋美行政改革担当相と自民党の高市早苗政調会長が参拝の意向とされ、春の例大祭で参拝した新藤義孝総務相、古屋圭司拉致問題担当相も含みを残す。
首相と麻生太郎副総理兼財務相、菅義偉官房長官、岸田文雄外相の主要4閣僚は見送る方針だ。
首相は6日の記者会見で「私人としての参拝は心の問題であり、自由だ」と述べ、閣僚らの参拝は個人の判断に委ねる考えを示した。
略
憲法改正をめぐり戦前のドイツ・ナチス政権を引き合いに「手口を学んだらどうか」と発言した麻生氏は、靖国神社についても「静かに参拝すべきだ」と述べ、同じように中韓両国の批判を浴びている。
以下略
ひとまず,科学研究費の成果報告書ができました。
このように今年は外れてしまったので,今年はまとめを書くだけなので楽なんですが…当たったら当たったで,色々な作業が出てくるので,今年はこれくらいのペースで良かったのでしょう。(と,負け惜しみを書いてますが 笑)
しかし,昨日は学部の講義で出した課題の締め切りだったのですが,提出状況が芳しくなくてちょっと気になってます。
「教育の方法および技術」で,学生たちに小テストとそのルーブリックを作成する課題を出したのですが,20チームある中でまだ4チームが未提出の状態です。
ひとまず,16チーム分のテストとルーブリックは印刷できているのですが,講義が木曜日の1コマ目なので,それに間に合わなくなると結構悲惨なことになりそうです。今週木曜日は,それぞれが考えた小テストとルーブリックの講評会を全体で行う予定なのですが…まあ,まだ火曜日(お昼前)だし,残り4チームなので大丈夫だと思いますが。
ちなみに,受講者が90名くらいだと,無事に課題を出すことができたチームの中でも,頑張って課題に取り組んだ学生とそうでない学生もでてくるわけですが,そうなると不公平感が生じてしまいそうで,ちょっと気になってます。 結局,学籍番号で勝手に決定されたチーム(約5人)なので,チームの中には積極的に課題に取り組もうと思っていた人とそうではないフリーライダー的な人が混在していたはずです。 たぶん,未提出で終わってしまったチームの中でも積極的にやろうと思っていた人にとっては不本意な思いをしてしまったはずだろうから,そういった人に対して教員としてどうやってコメントをすればいいのか,結構難しいかもしれません。
指導案は作ったことがある学生はそれなりいますが, 小テストとルーブリックとなると未経験の学生が大半です。 やればやっただけ確実に有益な知識になるはずですが, そこでサボってしまうともったいないことになると思いますが。
ところで,ここ最近1ヶ月間の宮教大のwebページのアクセス状況を調べてみました。
主要なOSはこのような感じ。
やはり圧倒的にWindows 7がメジャーで1位,次にXPが2位になるのですが,iPhoneとAndroidが3位と4位になっていました。
iPhoneとAndroidが3位と4位になったのは,講義のときにタブレット型の端末で配付資料のパワーポイントを見ているからでしょう。たぶん,配付資料が見えにくいのと,配付資料を忘れてきたから(笑)というのが理由だと思います。
しかし,Windows 8が5.8%というのはちょっと寂しいですね。Windows Vistaの6.8%よりも下というのは色んな意味でヤバイじゃないでしょうか。
ちなみに,個別のページでの閲覧数のランキングはこんな感じでした。
国立大進学にも親の所得差くっきり 06年調査から一転 というニュースがありました。 当然と言ってしまえばそうだけど, これまでにも 隠れた学力論争(見える学力、見えない学力) とか, 文化的再生産の論争 ,そして, 階層性の問題 などがありました。
なので,またか…という感じもします。 しかし,学力と階層性の問題は昔から論じられていてますが,心理学の立場でそれを論じるのは避けられてきたきらいがあります。 そこのところは若干untouchableな話題なのかもしれません。
しかし,上記のように学力と階層性の問題は厳然として存在しているわけですが,宮城県の調査は「早寝早起き朝ご飯」に特化したいようですね。 cf. 規則正しい生活の子は高成績…全国学力テスト
ということを,某市の委員会で指摘したことがありましたが,マスコミ受けを考えると生活スタイルの話をした方が分かりやすいのでしょうか。結局,家庭の階層性を教育によって解決することは困難だから,代わりに生活習慣の啓蒙に励むのかもしれません。
まあ,ここから脳トレとか脳の活性化といった怪しい話につなげるようになると,少し困ったことになるわけですが…。(笑)
ただ, やはり,そういう教育をできる親の子供だということが重要ということになってしまうと,身も蓋もない話になってしまうというか,救いがないことになりかねないから,たぶん,ことさら生活習慣を強調するのでしょう。違うのかもしれませんが…。
いずれにしても, 今回の分析の対象がどの問題かは不明ですが,全国学力テストはA問題とB問題という2つの異なるタイプの問題から構成されています。 A問題はわりと定型的な標準的な問題から構成されているテストで,B問題はそうではないような説明的な応用力を見るような問題から構成されているテストです。 たぶん,どっちのタイプの問題でも塾に通っている生徒の方が有利だと思うので, 通塾率が成績を支配しているとなるとちょっと困った話になるのかもしれなせん。 (cf. 教育課程研究センター「全国学力・学習状況調査」 )
ちなみに,こんなニュースもありました。 The micro chip that will save your memory: Scientists set to implant device to preserve experiences into BRAINS
発達と学習の心理という講義を担当しているのですが,そこで短期記憶(working memory)の実験(系列位置効果)をやることがあります。まさに海馬が云々の話なのですが,これが実現されるとどうなるんでしょうか?(笑) 外付けHDDではないけど,記憶(脳)が壊れても置き換え可能だったりすると面白いですね 自分が自分であるアイデンティティとは記憶によるものが多いから,それが自分だけじゃないものとなってしまうとどうなるんでしょうか?
惨敗した科研費の審査結果を e-RADにアクセスして確認してみました。
うーむ…審査者の評価をあらためて見てみると,研究計画のところでの弱さが足を引っ張っていたのが分かりますね(4-point scale)。 理由1 , 理由2 まあ,終わったことは仕方がないので,今年の10月に向けてまた頑張ろうと思います。
しかし,e-RADのログインに関してNさんには大変お世話になってしまいました。本当に申し訳ありませんでした。
今日は午後は健康診断で全学的に休講でした…それを知らずに,大学院の授業の準備をしてますた。orz
途中で現職の院生の先生が来て,今日は健康診断であることを教えていただきましたが(現職の先生なので,職場の人間ドックを受診するため本学の健康診断は不要),それまで一人で教室で待っていて,ちょっと寂しかったです。うぅぅぅぅ。
以前,創立記念日であることを忘れて講義の準備をしていた経験を,ふと思いだしました。
ちなみに,本学の創立記念日は,『10月18日(金)』です。平日なので,ちょっと危険ですね。(笑)
どうでもいいことですが,明日も健康診断で午後は休講ですが,それと関係なく大学院のゼミはしっかりあります。
で,徒然なるままに書き飛ばしてみますが, 松井選手はおいといて,長嶋茂雄氏は本当に凄いなと思いました。
脳梗塞をして,右手に麻痺が残っている状態ということは,何らかの左半球損傷の疑いが強いわけですが,そうなると言語野に起因した疾病も予想されるわけですが…きっと,リハビリをすごい頑張っているんでしょう。 cf. 「脳と神経系」 記念の始球式
たぶん,ミスターの場合は脳梗塞による高次脳機能障害という状態なのだろうと推測できそうだけど,発病が2004年3月4日でそれから約10年間経っているですね。 同様に脳梗塞からの復帰という意味でいうとJill Bolte Taylor博士が有名ですが,彼女の場合も左脳がやられたようです。 このTEDのパフォーマンスは若干宗教がかっているところがアレですが,とても面白い話だと思います。
どこまで本気か分かりませんが, 国立大学の教職員対象に年俸制の導入が検討されているそうです。
下村文部科学相は23日、政府の産業競争力会議で、国立大学改革の一環として教員給与に年俸制を導入し、優秀な外国人研究者の採用を促す方針を表明した。
中略
文科省は、海外で活躍する優秀な外国人研究者らを日本の大学に迎えるためには、高い給与などで優遇することが重要と判断。国立大に退職金にとらわれない年俸制を採用させ、年度途中の9月からでも働けるようにする。人事給与制度改革を進める大学には、必要な財政支援を行う方針だ。
(2013年4月24日09時00分 読売新聞)
しかし, このTEDのヴィデオにあるように,外発的動機づけは内発的なものよりも劣るというのは心理学の世界ではよく知られていることです。 つまり,大学の研究者を年俸制にして,報酬ベースで科学的発見が促進されるかというと,たぶんそうではないということです。
外発的動機づけの致命的な欠点は,大学入試の例でいうとよく分かるのですが,報酬(合格)が得られたらそれ以降は活動(勉強)を止めてしまうということです。そして,恐ろしいことに,活動(勉強)を再開させるために要する精神的コストが,報酬のために活動を行う前よりも高くなってしまうということです。実際に,大人が何かの資格試験に向けて勉強を始めるときには,勉強することが,若い頃よりもかなりおっくうになっているわけですね。
このあたりの話は実験的に実証されているものではないので少し怪しいかもしれませんが,本学の学部3年生あたりが教員採用試験に向けて再び勉強するときに経験する億劫さと符合しているので,けっこう当たっているような気がします。
ということで,年俸制のように外発的な動機付けのようなエサを使っても,たぶんいいことはないだろうと思うわけです。
ただ,この年俸制の話は任期制導入の時にもいわれていて, 結局のところ,総人件費抑制の話につながるような気がします。 そして,いずれは私立の小中高の非常勤教員の話 のような, あまり好ましくないような勤務態勢につながるような…そんな予感が,チラッとしています。
またもや親展で,学振から審査候補者データベースの登録情報のアップデートの確認依頼が届きました。 これは科研費獲得暦がある人に自動的に通知がくるもののようですね。
しかし,審査員候補のハガキがきても, 実際に審査員にはならないのはこれまでの経験からも明らかなのですが, 科研費に落ちてもこのハガキがくるのは心情的にイタダケナイ。
まあ,科研費が通っても喜んで審査員をするわけではないと思いますが…そもそも,審査員になるような人は, やはり碩学というか学識豊かな研究者でなければいけないと思うので, そのようなお役目が回ってくることは当分なさそうです。 というか,(くどい?)科研費に通った状態じゃないと,審査員なんて,やる気にもならないんじゃないかと…(笑)
…などと,科研費に落ちたことについて グダグダと同じように書いていたのを思いだしました。
いつもの,講義資料の「簡単だけれどもとっても重要な統計学の話」 に関して,統計的仮説の検定の基本的考え方と, 全国学力試験に関して層別抽出の話を少し加えました。 そして,例のテキスト・マイニングの結果というかペーパーもサンプルとして付けました。 ひとまず,この資料を教職大学院の講義資料として印刷しましたが,しかし, 教育現場でどこまで本格的な統計学的知見に基づいて効果測定をやることに意味があるのか, というかそれが歓迎されるのか,少し不安に感じることも若干あります。
間違った話(結論)を話すのは駄目なのは確かだけど, それを直感的に分かりやすく説明するのはなかなか難しいかもしれません。 これと関係して, I先生も教育現場でどこまで本格的な統計学的知見に基づいて効果測定をやるこ とに意味があるのか,少し疑問に感ずることがあるとのコメントをいただきました。
この話題と若干別の角度からの問題提起となりますが, 生態学の人からこのような疑問が出されているようです。 その話は,検定力と効果サイズを上記の講義資料のページでどのように記述するか迷っていたときに偶然発見しました。 I先生が感じられている違和感と少し似たものがあるかもしれません。 「出て欲しい違いが有意だとなるまでデータ数を増やし, 出てほしくない違い が有意にならなかったらそのままでよしとする態度は, 研究の価値を下げます ね」 ということです。 分野は違いますが,言ってることは非常によく分かります。
そして,この問題と少し関連してですが, エスノメソドロジーのような質的調査を量的に可視化させるツールとして,テキストマイニングが使えるのではないかと考えて勉強しているところです。 これは初めての試みなので成功したとは言えないような気がしますが… エスノとは全く違う中一ギャップに関する普通の記述的なデータですが,分析結果を今年の法政大学で行われる学会で発表する予定です。
しかし,質問紙作成に関する講義資料 一覧をまとめて印刷してみたのですが,A4サイズのページで 44ページにもなってしまいました。 これを受講者22名分印刷したわけですが, 全ての項目を説明するわけではないけど, さすがに少しやり過ぎなような気がしました。
科研費…駄目ですた…うぅぅぅぅ。 捲土重来を図るべく,来年度に向けて頑張りたいと思います。というか,まずは今年度の研究&講義を頑張ります。(笑)
一人で孤独にやっているのでアレなのですが,国際比較とかは止めて,まずはお金のかからない方向で頑張りたいと思います。あとは,審査結果の開示が4月下旬ということなので,それを見て…それでガッカリしなければいいけど。(笑)
自分なりに敗因を分析してみると…既に4年計画でもらっていて,更に続けて同種のラインで4年間計画でアプライしてみたんだけど,そこまで甘くはなかった!(笑) 今回提出した研究タイトルは,『中一ギャップと中一ジャンプ〜自己調整学習能力の発達的変化〜』というものでした。 cf. http://kaken.nii.ac.jp/d/r/50312690.ja.html 個人的にはけっこう面白い研究計画だったと思うのですが,寸足らずということでしょうか? 結局,科研費を当てること自体がそもそも難しいというか,だいたい首位打者並みの打率でそこそこの研究者と言われています。だから,似たようなテーマで連続して当てること自体が,そもそも難しかったということだろうと思います。
ちなみに,カミさんに科研費に落ちたことを言ったら,復職できたこと自体が奇跡的なことなんだから,欲張らなくていいんじゃない?と言われました。客観的に見ても,まだまだ100%とは言い難いので,教育と研究に100%没頭するのはまだ少し早いかもしれません。
(今回の科研費と関係ないけど)愚痴を言えば, 本当ならば学振の二国間交流研究者プログラムを利用してフィンランドの某大学で, 「受験圧の違いが学習目標の認識と学習方略の獲得に及ぼす影響 (The Effects of High-Stakes Tests on the Perception of Learning Goals and the Development of Learning Strategies: An International Study between Japanese Students and Finnish Students) 」 というタイトルで長期滞在して研究していたはずだけど, それがすっかり霧散してしまいました。 そこからどうやって挽回するのか, 時間がかかっても前進しなければいけないでしょう。
ひとまず,単なる中一ギャップという切り口ではなくて, 別の形でのアプローチでギャップというか 教育課程の壁を認識論的に明らかにできるように工夫しようと思ってます。 そのためにも,今は急いでテキストマイニングを行うためのデータ収集に励もうかと考えています。
しかし…某国から招聘する予定だった共同研究者の人には,残念な結果だったことを知らせなければ…うぅぅぅ。
あっという間に立春を過ぎ,気がつけば花粉症の季節になりそうですが,担当している学部の講義もあらかた片付きつつあります。 で,ようやく200人くらいの教職科目である発達と学習の心理のテストの採点も終わったわけですが, 少し愕然としたことがありました。
僕が担当している学習分野の問題として,以下のようなものを出題しました。
あなたが小学校の教員と想定して以下の問いに考えなさい。
新たに台形の面積の単元を教えることになりました。 このとき,効率よく教えるために授業のはじめに平行四辺形の面積の公式のおさらいをすることに決めました。
このような手順で教える必然性を,先行オーガナイザーという言葉を用いて説明しなさい。
僕としては,四角形全般の知識としてこのようなものを想定していたのですが, どうも,そもそも台形そのものがよく分かっていなかった学生さんたちが,思った以上にいたようです。 テストの答案を見て分かったのですが, 何名か平行四辺形と台形の関係を説明するときに このような台形を描いた学生さんたちが何名かいました。 さすがに平行四辺形は理解?していて欲しいと思うのですが,もしかしたらこれすらも怪しいのかもしれませんが…
結局,台形の代わりに普通の四角を描いてしまっていた学生さんたちは, なぜ台形を説明するときに平行四辺形が関係してくるのか分からないため,不自然な記述にならざるをえなかったようです。
まあ,何が台形であるか分かっていなくても,例えば, 「西洋から来た留学生に対して仏教や神道を教えるときに,いきなり仏教や神道を教えずに, 彼らにもっとも身近であろうキリスト教について整理する。 次に,仏教や神道とどう違うかなど比較を取り入れながら,本来目的としていた仏教や神道を教える 」とった感じに説明すれば,先行オーガナイザーの説明はOKだろうと思うのですが… 要するに, 既知の知識を例にとり,対比や重ね合わせを行うことで理解を促進させる手法と言い換えることもできると思います。
それで,テストを終わってから思い出したのですが, 試験を受けた学生さんたちはまさにゆとり世代まっただ中の人たちであったことを思い出しました。 一応,腐っても国立の大学なので,一般の大学生よりも上位の学力にある人たちだと思うのですが, かなり危機的な問題があるように思いました。
ゆとり世代を厳密に定義すると, 「2002年度から2003年度において学校教育を受けた世代」となるようですが, まさに彼らは小学校において台形の面積を習わなかった生徒たちだったのかもしれません。 彼らがこれから小学校の先生になるときに当然ながら台形の面積を教えるわけですが, 小学校のときに習わなかったものを教師になって教えなければならないのは,かなり酷な話なのかもしれません。
今日から日記のファイルを 2011-profile.htmlから 2013-profile.htmlへと更新します。 途中でFacebookやgoogle+などに移行するかもしれませんが, しばらくの間はこちらのページを使い続けるだろうと思います。 いずれにしても,内容的に少し学術的っぽいものは この大学のwebページに書くことになると思います。
ちなみに,12.28は僕の誕生日なので, 歳をとったついでにファイルを新たに移行しました。 誕生日が1967年12月28日なので,僕もとうとう42歳… こういった微妙な嘘をつく態度が家族から非難を受けるわけですが, まずは家族を大切にしながら頑張りたいと思います。
過去の日記は 宮教大着任(2003.4.15)から〜2007.12.27, 2008.3.25〜2011.8.6, 2011.8.6〜2012.12.28, 2012.12.28〜2014.3.13, 2014.3.13〜2014.11.30, そして 2015.3.19〜, の5部構成になっています。