学校ホームページの理想と現状
まだ未完成ですが、一応、体裁は整ってきたので公開します。 どこかにそのうち投稿する予定なので、取り扱いにはご注意願います。
このページは、 平成14年度前期に開講された「教育の方法と技術」でレポートとして課した 「学校ホームページの理想と現実」を基に作成された。 課題の内容は以下の通りである。
学校のホームページを50校以上見てきて、 その感想を2000字程度でまとめる。 見てきた学校のアドレス(URL)も参考資料として全て掲載してください (アドレスリストは上記の2000字に含まない)。
学習意欲 や、 教育の情報化の動向を探る に書かれているような内容を念頭におきつつ、大まかに、以下のような点に着目して考察してみてください。
- どういう学校紹介が多かったか(可能であれば、分類を試みてください)
- 特に好感を持った学校のページ(逆に、低い評価の学校のページも…)
- どのように活用されているか/するべきか
- どのような内容が掲載されていたか/すべきか
- 自分だったらどういうページを作りたいか
- 教材としてのwebページの在り方
注意事項
当たり前ですが、 見てくるページは、 原則的に自分が取得する予定の校種に限ります。 大学とか専門学校は駄目です。 ただし、論理展開の中で、 幼・小・中・高・養・盲・聾といった具合いに、 それぞれの校種の比較検討をするのであれば、 大学や専門学校などを参考資料に含めても構いません。 同様の理由で、フリースクールや塾などを資料に含めることも許可しますが、 なるべくそれだけに偏らないように注意して下さい。
学校ホームページが持ちうる機能としては、 学外に対する広報的な機能と、 学内向けの教材的な機能に大別することができるであろう。 おそらく、この2つの中で、 一般の授業や演習などで用いられる校内向けの教材的なWebページは、 意図的に公開する必然性は低いし、 公開すること自体に問題が生じる可能性もある。 たとえば、場合によっては、 ネットワーク対応型のCAIプログラムなども含まれるので、 そのような時には公開することが著作権的に難しいことも予想される。 したがって、今回調査してもらった範囲で見ることができた情報の多くは、 前者の広報的な側面が強かったのではないかと推測される。 一応、このことを念頭において読み進んでほしい。
なお、日本語で言うところのホームページとは、 たいていの場合はWebページと呼ぶ方が適切である。 個人的には、 ホームページという言葉がWebページの通称として流布している現状は好ましくないと考えており、 できればそれを正す方向で文章を書きたいと考えている。 たとえば、いわゆるホームページとは、 homeとなりうるスタートページ/インデックスを意味しているので、 それ以外のWebページをホームページと表現するのは論理的に間違っている。 しかしながら、学校ホームページは教師と生徒が学習しながら共同で作成されるものであり、 一般のWebページに対してかなり特殊なWebページ群と言えるであろう。 本Webページでは、この特殊性を表現するために、 学校ホームページという表現を意図的に使うことにする。
多くの学校で、 今年度から施行されることになっている総合的な学習の時間の内容について各学年ごとにのせられていた。 その学校独自の取り組みを掲載することは、それだけで評価される。
ホームページが更新されていない学校は、 それだけで不活発で魅力に欠ける学校と見られる可能性が極めて高い。三日坊主になりがちであるが、はじめに完璧なものを作ることよりも、持続的に更新していくことの方がより重要である。一応の目安としては、1ヶ月に一度程度、どこかのページの情報が更新されていれば、「死に絶えた学校」、「廃墟」という汚名を拭い去ることができるであろう。
校長による訓話や教育方針は必ず掲載されているべきではあるが、それが全面にでているようなページは、定型的で無味乾燥に見られる。
実際の生徒の活動が紹介されていることが、開かれた学校という好印象を与える。
都心部の学校よりも、地方の分校などの方が面白い読ませるページを作っていることが多かった。 地域の特色を反映させることが効果的である。
「はじめに」で既に述べたとおり、今回調査してもらったページに掲載されていた情報は、全て何らかの広報的な意図があって掲載されていたと言えるであろう。学校ホームページが作られるようになった理由としては、おそらく情報公開の気運の高まりと密接な関係があると思われる。
情報公開と説明責任に関する説明は、講義資料の学習の理屈付けと動機付けに掲載してあるが、 幼稚園から大学まで、学校現場ではこの種の情報公開への対応や理論武装で疲弊していると言える。たとえば、絶対評価の導入に伴った評価基準表の作成作業などは多大な労力が必要とされ、また、その成果はすぐに体感できるものでもない。そういう意味では、情報公開と聞くとつい身構えてしまい、余計な仕事、厄介な仕事と受け止められる可能性は高いと思われる。立場は違っても同じ教育に携わる人間として僕自身もその辛さはよく理解できる。
しかし、自分自身に対する自戒も込めて書くが、学校ホームページに関わる教員全ての方々には、できるだけ被害者意識を持たずに楽しんで作ってもらいたいと願っている。たとえば、学習に関する情報が記載されていなかった学校ホームページが大半であったという指摘が予想以上に多かった。おそらく、それらをWebページとして掲載する作業は面倒な仕事であり、誰も積極的にはしたくない作業に違いない(現実問題として、後述する「必須の基本事項」を作成するだけで手一杯であろう)。しかし、気負う必要は全くないが、教育実践の情報などを公開するとは他者からの批評を得る機会ができるということを意味しており、可能であれば、この機会を肯定的に受け止めてほしい。特に、教師が自らの名前と責任のもとで教材や授業実践をWebページの形で公開し、より良い授業作りの切っ掛けとして活用してもらえたらと願っている。少なくとも、Webページ作りを余計な仕事、やりたくない仕事と考えるのではなく、ルーチンワークからの脱却を図るための第一歩として、積極的に関与できるようになってほしいと願っている。
以上のような状況を念頭におきつつ、学校ホームページに掲載されうる情報と、 それに対応した読者層を模式的に表現したのが下に示した図である。 各項目の分類はあくまでも1つの目安であり、 現実的には1つのWebページに異なるタイプの情報が記載されている。 つまり、このように明確に分類することは難しいことは言うまでもない。 また、この分類はあくまでも1つの雛形として理解してもらいたい。 これら全ての情報を学校ホームページに掲載する必要はないであろうし、 全ての情報が掲載されていたからといってその学校のページの評価が高くなる保障もない。 活気のある学校ホームページにするためには、 これらの情報を静的に扱うのではなくて、 勤務校のホームページに対して誇りと愛着を持って、 常に更新し続けていくような不断の努力が必要であろう。
一応、この図はクリッカブルマップになっているので、 各項目をクリックすると当該箇所の説明を読むことができる。 適宜クリックして利用していただきたい。
これらはいわゆる学校紹介のパンフレットに掲載されている情報と言えるであろう。 上記のような情報が掲載されていない学校ホームページはありえないはずである。 学外向けのコミュニケーションツールとして掲示板を用意するかどうかは別として、 校種に応じて全ての事項が網羅されているべきであろう。
ただし、ここに示されている情報しか公開されていない場合には、 「入学案内パンフレット」ホームページと見なされやすく、 非常に堅苦しい印象を訪問者に与える。 たとえば、学校ホームページを閲覧した学生たちの評価が低い学校の中には、 校長先生による訓辞だけが掲載されていたものが多かった。極端な場合には、 「校長先生の、校長先生による、校長先生のためのページ」 と評価されることになる。また、この種の情報は、 一度作成してしまえば更新の必要がそれほどない。そのため、 これだけしか掲載していない学校では、 ホームページ全体としての更新頻度も低くならざるをえない。 非常に堅苦しい印象を与えると同時に、 更新頻度の低さも手伝って、 ホームページだけではなく、 実態はさておきその学校自体の印象が極めて悪くなる可能性が高い。
結論としては、他の情報とのバランスの問題であるといえるが、 既にかなりの学校で自前のホームページを持つようになってきている。 もちろん、 自校の学校ホームページを他校のそれと比較して特色あるものにすること自体は、 教育問題としてそれほど重要とはいえない。 しかしながら、 現状のようにただ漫然と学校ホームページを作っていたら、 教育理念に余程際立った特色がない限り、 どこの学校も似たような情報しか掲載されていないという状況になりかねない。 これでは、学校ホームページに対する愛着も低くならざるを得ないであろう。 学校ホームページを楽しみながら運営していくためにも、 これから本ページで解説するような、 プラスαの部分が必要といえるのではないだろうか。
教員個人が作成しているWebページは、 学校外の一般のプロバイダーが管理しているサイトには多数存在する。 その中には、素晴らしい授業実践を惜しげもなく公開しているサイトがあり、 教職志望の大学生のみならず、 実際に教鞭を執っている現役教師の参考にもなりそうである。 また、一般の教員とは異なるが、 教員採用試験の受験対策ページは 1つのジャンルとして既に確立されているように思われる。 つまり、学校ホームページの担い手は潜在的にかなり多いと言えるであろう。
しかしながら、 学校ホームページの中に教員個人の領域が確保されていることは極めて希である。 少なくとも、学校の外からはその存在を全く伺い知ることはできないことが多い。 もちろん、 匿名で情報を発信することの気楽さや、 サーバーの管理コストの高さ、 ネットワーク環境の未整備の度合いなどを考えると、 商用のプロバイダーが管理するサイトで自分だけのWebページを作成することは理に適っていると思われる。 しかし、もしも作業環境が整っているのであれば、 それはとても勿体ないことであると思われる。
保護者の立場としては、 自分の子どもの担任が、 どのような考えでクラスを運営しているかはできるだけ詳しく把握していたいであろう。 また、全ての保護者がそうであるとは言わないが、 担任に対して何か協力できることがあれば、 できる限り力になりたいと思う保護者は潜在的に多数存在すると思われる。 特に、表だって協力することは躊躇われるが、 何か自分にできることであれば協力してみたいと考えている、 そのような隠れた協力者を発掘するのに、 教員個人が管理するホームページは有効に機能するのではないかと思われる。
現時点では、 教員の全てが高いコンピュータ・リテラシを持っているわけではないし、 ごく一部の教員だけが学校ホームページに露出されることは、 あまり好ましいこととは思えない。 しかし、後述するように、 学校の中での子どもの様子は親でさえ分からないが、 教師に対しても全く同じことが言える。 もちろん、教師に関する情報は、 子どもや保護者同士の会話の中で噂話として漏れ伝わってくるが、 これらの情報が本当に正確であるかというとその保証は全くない。 むしろ、学校の危機管理という意味では、 教師自身がクラスの状況説明をある程度行っていくことも、 選択肢として確保しておくべきであろう。
現状ではまだまだ未整備な状況にあるが、 今後は教師一人に対して1台のネットワーク端末が配置されることも考えられている。 そのような状況では、 教員個人によるホームページ作成が義務づけられる可能性もあるだろう。 現在は、その時の準備を兼ねて、 教員個人のホームページ作成を、 現実的な作業として検討する段階にあると言えるのではないだろうか。
たいていの高校の学校ホームページでは、 教育課程に関する説明が表として掲載されていたが、 それでも、それ以上に具体的な内容について言及されることは希である。 たとえば、大多数の小学校では後述する総合学習への取り組みが紹介されていたが、 なぜそのような取り組みをしているのかという説明が掲載されていた学校は、 研究指定校を除けばほとんど見られなかった。
総合学習や学校行事といった特別な活動についての情報は、 比較的豊富に掲載されていたが、 一般的な教科の学習活動について解説してある学校はかなり限られている。 一般教科の学習の方が特別活動よりも圧倒的に多いことを考えれば、 少し奇異な印象を覚える。 学校に対して期待されることとして、社会に慣れ親しむことや、 仲間集団を確保することなどがあるのは事実であるが、 学校とは基本的に勉強する場であることを考えると、 このような学校ホームページの状況は大変不思議なことである。 新しい取り組みに力を入れているのは当たり前だし、 それを宣伝したいのは理解できるが、穿った見方をすれば、 一般教科の学習に関して誇れるようなところはないのか、と勘ぐってしまう。
確かに、 授業以外の活動風景を見ることはとても楽しいことであるが、 昨今の新聞で特集が組まれているように、 学力低下問題は社会的な関心事となっている。 夏休みの課題や平常の宿題など、 どういう課題をどういう理由で課してどのように評価するかを対外的に説明できることは、 指導と評価の一致を進めることと同時に、 情報公開や保護者への説明責任を果たすという意味でも重要である。 一時的な流行という側面があるにしても、 学校側に対して、 何らかの形で学習に関する情報提供を期待されていると言えるであろう。
たとえば、地域との連携強化や地域研究と銘打って、 学校側から保護者達の協力を依頼する機会が増えてきているが、 手を貸すだけで、 なぜそのような活動を行っているかの説明が一切なされないことが多い。 現在は総合学習の取り組みがスタートしたばかりであるので、 保護者達も新しい取り組みとして興味をもって参加しやすいが、 説明が一切なされないまま協力し続けることが強制されるのであれば、 最終的には協力者の数が減っていってしまうのではないだろうか。
総合学習の他にも、 生徒の成績評価が相対評価から本格的な絶対評価へと完全に移行しつつある。 「単元の狙い」や課題の評価ポイントなどとあわせて、 年間指導計画や月案程度の内容を伝えておくことは必要といえるのではないだろうか。 特に、週休二日制と普通教科の授業時間の削減に伴って、 学校外での学習時間の重要性が高まってきている。 このような状況では、 保護者に、生徒たちに宿題をやってこさせる単なる監督者ではなく、 それ以上に教師的な役割を分担してもらう必要があるだろう。 もちろん、全ての保護者がそのように積極的な協力者であるわけではないし、 学習に対する保護者の関与度が地域等によって大きく異なるのも事実である。 しかしながら、 授業の全内容を学校の中だけで完全に消化することは昔から困難であり、 家庭学習の重要性は今後より高まっていくと言える。 保護者に対する啓蒙活動には様々な難しさが存在すると思われるが、 今後は積極的に行っていくべきであろう。
なお、作る側は同じでも、見る側は毎年変って行くので、 無理矢理に新しい内容を1から作り上げる必要はないだろう。 つまり、使い回しをしても何ら問題はないということである。 また、実態としてはさほど目新しい取り組みをしているわけではないにしても、 全ての学校でこれらの情報が掲載されるようになれば、 自校の教育内容を相対的に評価する手がかりとなりうると予想される。 他校の教師の立場としては教材研究に使ったり、教育理念を学んだりできるので、 一般教科に関する情報はどんどん公開していき、意見交換を行うべきだと思う。 情報交換を積極的にして学校同士で学び合えば、 総合的な学習の時間もより意義のあるものになるのではないだろうか。
一般のWebページの中でも訪問者数の多いページ、 成功しているページと言われているページの特徴として、 訪問者参加型であることが挙げられる。 たとえば、訪問者数を稼ぐためには、 Webページに掲載されている情報が資料として重要であること必要である。 この場合には、資料としての質の高さも重要であるが、 単発的に質の高い資料が掲載されているだけでは不十分であり、 掲載されている情報の多さも重要となってくる。
基本的にWebページは個人が作成するものであるのは間違いないが、 しかし、質と量を兼ね備えたサイト作りとなると、 いかに優れた人間であっても能力的に限界がある。 現在、メガヒットサイト(一日の訪問者数が千人以上になるサイト)の多くは、 まさに質も量も他者から抜きん出たサイトであるが、 そのサイトの管理者単独で全ての情報を作り上げているわけではない。 管理者個人がオリジナルに作ったページは全体の中の1割程度であり、 大部分のページは、 参加者たちが相互に協力して作り上げたものになっていることが多い。
つまり、 これは学校ホームページの作成プロセスの根幹とも関連しているが、 先述した「基本の必須情報」を含めて、 全ての情報を教師だけで作る必然性は本来ないということである。 もちろん、 公的な情報であれば何らかの形でオーソライズされている必要があるが、 それでも、 個別的な情報については必ずしも教師が最も熟知しているわけではない。 たとえば、 地域情報は、 教師よりも地域住民の方が明らかに詳しい情報をもっているだろうし、 災害対策は地域住民の協力なしに成立しないであろう。
学校が発信する情報の中で不正確な情報が含まれていては問題があるが、 しかしながら、 学校ホームページの全てを教師だけで作り上げなければならないとなると、 維持や作成に必要とされるコストの高さから、 早晩破綻してしまうことは目に見えている。 持続的に更新していくためのシステム作りの一環として、 教師以外の人間の協力を積極的に検討していく必要があるといえるであろう。
他校との差異を容易に示すことができる要素としては、 その立地条件(周囲の状況の特殊性)があり、 校舎や街の様子などを詳しく紹介することは、 外部の人間(特に遠隔地に済む人間)にとって興味を引く内容となる。 地域紹介の全てを教員が行う必要はなく、 地域の役所や観光案内施設などへのリンク集があるだけでも随分と印象が変わってくる。 また、これらのリンク集は総合学習の参考資料として、 そのまま流用することができるであろう。
ただし、地域との連携に力を入れるのは悪いことではないが、 地域と連携すること自体が目的化してしまうおそれもあるだろう。 たとえば、地域との連携があまりにも全面に立ってしまうと、 地域研究が自己目的化してしまっているような、 情報公開への過度な適応というあざとい印象を与える可能性もあるだろう。 特に、 どうして地域との連携を深める必要があるのか、 どうして地域研究を行うかの説明ができない場合には、 総合学習への取り組みも含めて、 学校の運営自体に不信感をもたれる可能性もあるだろう。
総合学習で地域を研究する理由としては、 事例としての扱い易さと、 自己を中心とした意味世界の拡張に適していることがあると思われる。 しかし、 総合学習を通じて自己の問い直しと拡張を行いたいのであれば、 単なる地域研究よりも、 各自に自分の適性や能力について考えさせ、 どのような職業にむいているのかを検討させた方が適切な場合もあるだろう。 たとえば、 講義資料の 学習の理屈付けと動機付け や 教育評価に関するヒント〜指導と評価の一致 で説明したように、 己が何者であるかを考えさせるような働きかけは今後より重要になってくると思われるが、 総合学習を単なる地域研究で終わらせないためにも、 社会的な事象に目を向けさせるために役立つような資料が提供されるべきであろう。 特に、職業リンク集が中学生の段階で重要な参考資料となるのは言うまでもないが、 学習意欲に関する発達的な研究からいうと、 小学校高学年くらいの児童にとっても、 自分の適職探しは重要なテーマとなりうる。
その他、部活動の紹介、特に大会などで好成績を修めた場合には、 それを大々的に宣伝することはよく見かける。 家庭科教育専攻の伊藤さんの指摘にもあったが、 どういう部活動があるか、その項目を列挙するだけでは不全感が残る。 短くてもよいから、活動内容の記述があるべきだろう (可能であれば、各クラブのメンバーに作成させてもよいかもしれない)。 また、通常の保健室便りと並行して、 スクールカウンセリングの相談窓口なども用意されていると、 利用率が高まる可能性が高いだろう。 たとえば、この種の相談業務では匿名性が重要視されるが、 ネットで相談を受け付けることにより、 その匿名性が通常の相談よりも高く維持できるようになる。
学校の中での子どもたちというのは、ある種、隔離されていて、 親でさえなかなか活動内容や様子がわからない。 それを見せるというのが学校ホームページの基本的な役割でもあろう。 動画を含めて、 生徒たちの活動状況を学校ホームページから閲覧可能にすることは、 もっとも素直な情報公開の方法といえる。
また、一般的に、 Webページは立ち上げ当初は情熱をもって頻繁に更新していくが、 時間が経つと全く更新されなくなることが多い。 これは個人が管理しているページで顕著な特徴と言ってよいだろうが、 全く同じことが学校ホームページについても言えるであろう。 しかしながら、 学校ホームページの中に生徒の活動風景を盛り込むことができるのであれば、 少なくとも、 ネタ切れと呼ばれるような掲載すべきアイディアの枯渇は生じないはずであり、 もっとも容易に情報を更新しやすいページ群になると予想される。
もちろん、 情報を更新する担い手が教師に完全に限定される場合には更新頻度は低くならざるをえないだろうが、 もしも、生徒たちの手を借りることができるのであれば、 更新作業そのものはかなり容易になるはずである。 たとえば、 生徒たち各人にWebページを作らせる場合には、 作りっぱなしにはさせないで、改善していく点、 よりよくしていく点をキチンと指導していく必要がある。
ただし、 女子生徒に対するストーキング行為などが問題となっており、 個人情報の中でも写真の扱いについては細心の注意を払う必要がある。 外部からのアクセスに制限をかけるなどの技術的な解決方法もあるが、 ホームページに生徒の写真を掲載させないという判断も、 状況によっては十分に合理的といえるだろう。 たとえば、 生徒の顔に目線を入れたり、モザイクをかけたり、 一見すると工夫を凝らしているような学校が散見されたが、 自分の写真に対してそのような処理を施されたらどのように感じるかを考えたことがあるのだろうか?
写真の中で最も興味をもって見る写真は自分が写っている写真であると言われるが、できればこの状態からは脱却すべきである。しかし、この当たり前な事柄が実はとても難しいと思われる。たとえば、生徒同士の交流を深める場や、授業の質疑応答の場として掲示板を設定しても、すぐに有効に活用されるわけではない。ネットワーク上に交流の場を作り上げたら、すぐに活発な質疑応答が展開されるというのは妄想以外の何ものでもない。このようなインターラクティブ性が発揮されるためには、教師による恒常的な働きかけが不可欠といえるであろう。
保護者の厳密な定義としては、 その時点で学校に通学している生徒の保護者となるだろう。しかし、 卒業生の保護者や進学予定児童の保護者なども含めるべきであろう。 また、小学校、中学校などでは、 学区制度の関係上(特に人口移動の少ない郡部では)、 地域住民がそのまま上記の保護者の範疇に含まれている可能性が高い。
なお、地域の住民や保護者達を意図的に巻き込もうとするよりも、 より自然体に近い形で取り込むことが望ましい。 表だって学校の教育活動に関して関与することは躊躇われるが、 匿名であれば意見を出したり協力しても構わないという保護者は 潜在的にかなりいると思われる。 このような隠れた協力者層を掘り起こすときに、 ネットワークの匿名性を活用することは効果的である。 ただし、匿名性が高まると、 ニュースなどで数多く報じられているように、 様々なトラブルが生じやすくなる。 教育の情報化の動向を探る で指摘したように、 管理責任をもつ主体としてキチンとした体制を整えておく必要があるといえるであろう。
基本的には同一校種の教員がここで言うところの「他校の教師」と言えるであろう。しかし、中高連携に顕著に見られるように、隣接校種でどのような学習が行われているかを把握していることは、本来は必要といえるであろう。特に、総合学習のような地域の特性を生かしたような取り組みが行われることが多いが、小中と全く同じテーマが取り上げられたりすることもある。内容的に重複している場合には、校種に応じた独自の観点が必要とされるであろうが、それぞれの学校で連携を図る契機とすることができるかもしれない。
他校の生徒は原則的に同一校種の児童がメインとなるだろう。ただし、卒業生の進学校や進学予定者が多く通う学校の生徒が読者となることも考えられる。同一校種の児童であれば、課題の共同研究や共同発表などに役立てることができるであろう。小中のように、進学先の学校がある程度定められている場合には、課題の継承を考えてもよいかもしれない。
卒業生の年齢構成は様々であり、数年前の通学生から現在の保護者まで含まれるはずである。ホームページに掲載されている情報を全ての年齢層に対応させることは難しいが、卒業生は、情報提供や総合学習の補助など、様々なレベルの作業の協力者としてもっとも有力な集団となっている。
特に、高等学校や私立学校においては重要な読者層である。 基本的に、進学予定者の後ろにはその保護者が控えていると考えるべきであり、 その興味関心を最大限満たす努力をすべきであると思われる。 中学生程度の学齢であれば、 学校ホームページが、 その学校を知る時に最初にアクセスする情報になっている可能性が高いことを理解しておくべきだろう。 もちろん、 校舎の雰囲気などを含めて全ての情報を学校ホームページに掲載することはできない。 しかし、各学校の「顔」として、 学校ホームページはその学校の特色を強く反映したものでなければならないだろう。
これはWebページ全般に関する注意点と言えるが、 まず第一に注意すべき事柄はページ全体の色使いであろう。 たとえば、白地に黒い文字というのが一般的であるが、 装飾性を高めようとして間違って「白地に水色(しかも明度の高い色)」という 組合わせにしてしまうと、大変読みづらいページができあがる。 ページ構成に極端な問題のある学校ホームページの数は少ないが、 それでもいくつか見掛けるので注意が必要である。
情報弱者の定義としては、 情報にアクセスする手段が限られた人となる。 学校ホームページは公的な存在であるため、 一般の公共機関が管理しているページと同程度に、 これらの人々へ配慮すべきであろう。
たとえば、JavaScriptを多用したトップページがいくつか散見されたが、 JavaScriptがうまく機能しないブラウザを利用している環境では、 コンテンツを全く見ることができなかった。 また、トップページを開くと同時に校歌が大音量で流れ、 別のページに移動しない限りそれを止めることができない学校や、 巨大な図(JPEGファイル)を掲載している学校なども存在する。 これらの学校のホームページは、 校内ネットワークの内部の人間にとっては全く問題ないページかも知れないが、 ある意味で、外部からの訪問者を拒絶しているページといえる。 一般の学校で全てのブラウザに対応しろとまでは言わないが、 せめてトップページだけは、 どのような環境でも短時間で表示でき、 そこから先のナビゲーションも明確なものになっていなければならないはずである。
デザイン面で凝ったことをしたい気持も理解できるが、 学校ホームページでは、 先進的な技術を無理やり導入するよりも少し遅れた枯れた技術を使うべきである。 また、単一の環境ではなくて、 複数の環境で同程度に見ることができることを確認すべきである (e.g., Macintoshで作成したのであれば、Windows環境でも表示してみる等)。 特に、配色はよほど注意してデザインしていかないと、 ほんの少しでも閲覧環境が変化すると驚くほど見え方が変わってしまうので注意が必要である。 作者が意図した通りにページが表示されなくても、 最低限度、 閲覧行動に支障を来たさないような工夫をする必要がある。
なお、デザインに関して凝ったことをしたい場合には、CSSを導入するなど、 できるだけ特定の表示環境に依存しないような方法を検討すべきである。 CSSとはCascade Style Sheetの略であるが、 HTML(Hyper-Text Markup Language) の中からデザインと論理構成を切り分けるために考案されたものである (本ページでも一部利用している)。
上記のデザインの問題は、 「過度に凝ったことはするな」というルールと、 「複数の利用環境で確認しろ」というルールを守ればたいていは解決できる。 そういう意味では、実はそれほど深刻に考えなくてもよいだろう。 しかし、セキュリティへの配慮はデザインの問題とは別次元の話として、 少し真剣に考えておく必要がある。 双方向メディアとしてのインターネット でも少し述べた通り、 各学校でセキュリティ対応マニュアルを策定すべきだと思われる。
たとえば、これは英語教育の増田君による指摘であるが、 フリーの掲示板システムを学校ホームページに導入している学校が多数見掛けられた。 しかし、 フリーの掲示板システムの中でもメジャーなシステムを採用する時の大前提として、 「初期設定は利用者独自のものに置き換える」ということがあるが、 初期設定のままで運用しているところがあったと増田君は報告している。 また、 CGIプログラムを設置しているディレクトリの内容を、 容易に覗き見ることができる設定にしてある学校などもいくつか報告されている。
おそらく、現時点では、 情報漏洩が起きても致命的な問題が生じない程度の情報交換しか行っていないと思われる。 しかし、今後は、 TBC(東京ビューティセンター)のような致命的なプライバシーの漏洩が起きないという保証は全くない。 このままの杜撰な管理体制が続けば、近いうちに、 決定的なダメージを学校側が受けるような事件が必ず起きるはずだ。
もちろん、教師の本分は教えることであり、 学校ホームページを作成・管理することではないのは明らかである。 つまり、 本格的に学校ホームページを運営していく計画があるならば、 教師だけで運営していくことはやめた方が無難であろう。 予算的に非常に困難な状況であるのは事実であるが、 可能であれば管理についてプロのアドバイスを積極的に受けるべきだと思う (場合によっては、 大学などで行っているボランティアベースのコンサルティングを受けるのもよいだろう)。 よしんば、その学校にプロ並の技能をもった教師がいたとしても、 それはあくまでも偶然であり、 その教師が異動してしまった場合には全く対応することができなくなってしまう。 その時点ではセキュリティホールのない完璧なシステムであったとしても、 1年も放置されていたら、 たいていの場合は穴だらけのシステムとなっているはずだ。
最後に、以下の文章は平成12年に書いたものであるが、 状況はほとんど変わっていないと思われる。 学校関係者の方々は、よく注意して読んでいただきたい。
たとえば,現在売られているパソコン雑誌の広告を見れば分かる通り,ハードウェアに関する広告は非常に数多いが,ソフトウェアに関する広告はかなり少ないのが現状である。ようやくハードウェアが一般の関心事になりつつあるといったところであって,まだソフトウェアは一般人の興味対象に含まれていない。ソフトウェア市場は甚だ低い成熟度にあるといえよう。もっといえば,よしんばソフトハウスがきちんと開発してくれたとしても,肝心の学校側が,ソフトを購入したり維持,管理するための予算をもっているかという問題もある。特に,コンピュータというものは,ハードウエアの導入時よりも,維持・管理にコストを要することが多く,この傾向はネットワーク化されるほど強くなる。旗振り役の文部省はともかく,少なくとも学校現場がこのことをどれくらい理解しているかかなり疑問といえよう。