教育の情報化の動向を探る

以下の文章は認知科学会のテクニカルリポートとして採録されたものを基にして作成したが、 インターネットを取り巻く状況の変化に応じて更新していく予定である。 原則的にPDFファイル、MS-Wordで作成した文章については更新する予定はない。 したがって、2000年6月現在で両者は同じ内容であっても、 本ページの更新の進み具合いによっては、 テクニカルリポートとして採録されたものと異なったものになる可能性がある。


目次

  1. 歴史的経緯
    1. 情報スーパーハイウェイ
    2. 日本版情報スーパーハイウェイ構想と「教育の情報化プロジェクト」
    3. 情報A・B・Cの位置づけ
  2. 辞書としてのインターネット
  3. メディアリテラシー教育
  4. 双方向メディアとしてのインターネット
  5. インターネット社会におけるモラル
    1. 感情表現の重要性
    2. フィルタリング・ツール
  6. 事例紹介
  7. 一般的考察
    1. ヘッドスタートしての情報処理教育
  8. まとめ
  9. 文献

1. 歴史的経緯

はじめに簡単な歴史的背景について述べ、次に、何が重要な概念であるか概観する。教育の情報化については、以下の3つのキーワードを押さえれば大まかな流れを理解することができる。それは、(1)情報スーパーハイウェイ、(2)文部省の報告書『情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議』、(3)「情報A・B・C」の学校現場への導入である。

1.1 情報スーパーハイウェイ(Information Superhighway)

この計画が一番はじめに公にされたのは、1992年の大統領選挙の公約であった。この時期に、クリントン大統領は情報通信の重要性を強く認識したゴア副大統領を迎えて、情報スーパーハイウェイの実現を公約として掲げて選挙戦を戦ったということは、その先見性の高さについて目を見張るものがある。たとえば、そもそもWWWというものは、ティム・バーナス=リーがCERNの研究スタッフだった1989年頃に提唱しはじめた技術である。つまり、この計画が立案されたのは実質的にWWWがまだ存在しなかった時期であり、もちろん、NetscapeやInternet Explorerといったソフトは影も形もなかった。日本では、非常に使い勝手の悪いWindows3.0が出回っていた頃であり、翌年になって、使い勝手が大幅に改善されたMS-Windowsの3.1がようやくリリースされた。この時期の情報通信といえば、Niftyを代表とするパーソナルコンピュータをベースとしたBBS(Bulletine Board System)が一般的なものであり、いわゆるインターネットと呼ばれるTCP/IP接続に基づく情報通信網を利用した活動は、ポピュラーだったとはとてもいえない。そもそも、ソフトウェア自体も高価であったが、それを走らせるパーソナルコンピュータが50万円台で売られていたので、コンピュータを利用している人口自体がかなり少なかったといえよう。

さて、このような状況の中で、クリントン大統領がどのような政策を公約として掲げていったのであろうか。その骨子を短くまとめると、『全てのアメリカ国民が、いつでもどこでも情報にアクセスし相互通信ができるNII(National Information Infrastructure)を構築する』となるであろう。このNIIを構築するためには、『ネットワーク以外にも、ソフトウエア、データベース、そして、コンピュータ以外にも、人工衛星、テレビや電話、スキャナー、カメラなど様々な情報機器を整備し、そして、専門家を育成し、アメリカ国民の情報リテラシの底上げを行う』ことが必要であるという具体的な施策の説明へと続く。つまり、近未来の社会を考える上で情報化は避けて通れない変化であり、"What is NII?"[1]に示されている通り、情報ハイウェイ計画とは、アメリカ国民がこの変化に取り残されず更には世界をリードできるために、どのようなことに取り組むべきかということから導き出された計画といえよう。

そして、上述したとおり、NIIを構築するためにはハードウエア類の開発も必要であるが、それを活用する人的資源がより重要となる。このことは実際に、NIIに関する情報ガイド[2]の一番初めの項目に「教育と生涯学習(Education and Lifelong learning)」が掲げられていることからも、アメリカ政府がいかにこの人的資源の育成を重視しているかが推測できる。

1.2 日本版情報スーパーハイウェイ構想と「教育の情報化プロジェクト」

基本的な骨子は、クリントン大統領とゴア副大統領が掲げた計画をほぼそのまま踏襲したような内容となっている。具体的な内容は高度情報通信社会推進本部が提出した 「高度情報通信社会推進に向けた基本方針」[3]に書かれている通りである。たとえば、当面の目標として、(1)電子商取引等推進のための環境整備、(2)公共分野の情報化、(3)情報リテラシーの向上、人材育成、教育の情報化(4)ネットワークインフラの整備が掲げられている。ただし、基本的な骨子は日本とアメリカとで非常によく似ているものの、情報の提示順序を見た限りこれまでの日本の行政と同様に、箱モノを優先させた雰囲気が漂っているように感じられる。これが推測が本当に杞憂であるかの議論は後で論じることにして、本節では教育面の対応について考察していきたい。

さて、教育に関しても、社会的インフラの変遷を理解した上で、未来の社会に生きる子どもたちがどのような能力を身につけておくべきかを考え、その答えの一つとして情報処理能力を挙げている点はアメリカと同じである。情報教育には、情報社会を支える専門家の育成という側面と、情報社会で生き抜く能力の育成という側面とがあるはずだが、上記の「高度情報通信社会推進に向けた基本方針」でいう能力とは、後者の側面が強くなっている。つまり、「読み・書き・ソロバン」と同じ程度の極めて基本的な基礎学力として、情報機器の操作への習熟が挙げられているといえよう。 参考までに、情報リテラシの定義について以下のページを挙げておく。 「『情報機器操作』で扱うリテラシについての一考察」 (2002年4月29日追加)

上記のリテラシを図的に説明すると以下のようになる。 コンピュータと関連したリテラシとして、「情報リテラシ」、 「コンピュータリテラシ」、 「メディアリテラシ」の3つが部分的に交わりながら存在すると いえるのだが、更に、これらのリテラシの上位概念のリテラシとして、 「機能的リテラシ(functional literacy)」が存在する。 これは、社会的、公民的、経済的な役割を果たすために必要とされる基本的な識字スキルを意味しており、 現実的には、 いわゆる「読み書き算盤」的な単純なスキル(狭義の基礎学力)より高度なスキル(広義の基礎学力)と言えるであろう。 なお、リテラシに関する考察は、 Global Literacy -- 教育の諸問題が詳しいので参照してほしい。 (本節は2002年6月25日追加)

コンピュータを取り巻くリテラシ

そこで掲げられている基礎的学力としては、(1)生きる力、(2)「情報」の科学的な理解、(3)情報社会に参画する態度の修得がある。(2)と(3)については次の節で解説するが、(1)の「生きる力」とは昨今の教育現場で非常に重要視されている言葉である。しかし、この言葉が具体的に何を指しているか、すぐには理解しにくい曖昧な言葉である。おそらく、一般には「生きる力」と聞いたならば、その解釈としては「手に職を付ける」といった内容になると思われる。しかしながら、「生きる力の修得」を教育の情報化の文脈で語られる内容に絞って要約すると、「自己学習能力の促進」と言い換えることができるであろう。

たとえば、あるトピックに対して興味・疑問を持ち、資料やデータを収集、分類・整理し、分かったことをまとめて発表する能力を身につけさせるのが、「生きる力の修得」の眼目といえるであろう。この興味・分析・発表のプロセスで、いかに情報機器を効率よく使いこなすかが近年の社会では重要視されており、このような能力が「情報活用能力」とか「情報リテラシー」と呼ばれている学力・能力の実態となっている。もちろん、この種の能力はコンピュータを使わなくとも伸ばすことが可能であろうし、事実、これまでの人々はコンピュータを使わなくとも十分な分析能力を身につけることができた。しかしながら、これからの社会的インフラの変遷と社会の情報化を考えてみると、全ての日本国民が、情報通信機器を有効に活用して「生きる力」を効率よく発揮できることが必要とされている。つまり、この場合の生きる力の修得とは、「情報機器」を使いこなしながら、「自己学習能力」を修得し促進させることを意味しているとといえるであろう。

そして、学校教育全体の中では、以下のような流れに沿って上述した「情報機器を活用した生きる力」を修得することが望まれている。まず、小学校から中学校前半では、(1)基本的な情報処理能力を総合的学習で養い、中学校後半以降は、(2)より専門的な知識(教科科目)を基盤とした学際的学習を行うことが期待されているといえよう。つまり、中学校の後半以降では、卒論に相当するようなしっかりとしたレポートを執筆するための重要なツールとして、あたかも実際の研究者が利用しているがごとく、コンピュータを駆使していくことが望まれているといえるであろう。

更新情報
 平成12年11月に提出されたIT戦略会議の内容を読む限り、 基本的には既存の箱モノ行政の発想に限りなく近い雰囲気が読み取れます。 Technology Today に書かれているように、 制度面の充実に偏重した政策立案のように読めてしまいます。 おそらく、 より多くの人にインターネットを利用してもらうことにより、 ネット経済が活性化されて不況から脱出することを狙っているのでしょうが、 少し近視眼的な発想のように思えます。
 非常にありがちですが、「IT→情報教育→PC→ネットワーク→サーバー」 といった具合いに安易な発想をしてしまうと、 学校にサーバーを一台は設置しないといけなくなってしまいます。 情報教育で何を教えなければならないかには諸説ありますが、 もっともベーシックな定義としては 「手際よく情報を収集し活用する能力を育てる」ことになるでしょう。 そういう意味では、 サーバーに特化した情報処理教育はパソコンおたくを増加させるだけであまり意味がないように思えます。 たとえば、 管理者不在の状態でサーバーを無目的に設置してしまうことになれば、 どういう状態になるかちょっと考えればすぐに分かることです。 サーバーを設置するのであれば、各学校に応じて何のために設置するのか、 どのような情報を発信するかを明確に論議した上で、 各教員の大幅なスキルアップをはかっていかないと大変なことになるはずです。
 サーバーを設置するなとは言いませんが、 どんなことに使えるかをよく考えてから設置しないと無駄なゴミになってしまうでしょう。 色んな意味で教師の力量が問われることになるのかも知れません。
(2000年12月1日)

なお、上記"What is NII?"に示されている通り、アメリカが想定しているリテラシーというものは、情報リテラシーではなく「技術リテラシー(Technology Literacy)」である点にも注意する必要があるだろう。つまり、いわゆるIT産業だけではなく、コンピュータやインターネットはその他の科学技術の中の1つでしかないという立場をとっているわけである。このような観点で見直すと、日本のIT政策は、人材育成を軽視しているのみならず、対象とする技術もかなり狭いと言わざるをえないであろう。彼我の違いを見てみると、やはり日本はアメリカに比べて5年は遅れているように思われる。(2001年4月12日更新)

1.3 情報A・B・Cの位置づけ

2003年度から独立した教科科目として、「情報A・B・C」が高校で導入される。「情報」の添字であるA、B、Cは、それぞれが内容的に異なっていることを表現している。実際に開講されるのが2003年度であるため具体的な教科書はまだ出揃ってはいないものの、情報処理学会が文部省初等中等教育局に提出した提案書に基づいて、試作教科書[4]が一応の雛形として公開されている。この「試作教科書」の紹介文として情報処理学会は、『情報処理学会初等中等情報教育委員会ワーキング・グルー プが、学会の調査研究活動として、普通教科「情報」の具体的内容について提案する目的で作成し、多くの方々に広く議論していただく目的で一般に公 開しているものであり、教科書そのものではなく、また文部行政とは まったく関係がありません』という文章を掲げているが、標準的な教科書として採用されそうな雰囲気である。細かい章立に関しては変更があるだろうが、少なくとも教科書に盛り込むべき内容についてはあまり変化がないと予想される。

さて、上記の教科書案と 文部省の報告書「体系的な情報教育の実施に向けて」[5]を参考にして、この「情報」という科目がどのようなものであるか説明していきたい。まず初めに「情報A」の説明は後にして、「情報B」と「情報C」の内容について説明しよう。

「情報B」を分かりやすく説明すると理系科目となるだろう。つまり、数理科学的素養を鍛える科目となっている。基本的な骨子をまとめれば、『コンピュータにおける情報の表し方や処理の仕組み、情報社会を支える情報技術の役割や影響を理解させ、問題解決において、コンピュータを効果的に活用するための科学的な考え方や方法を修得させる』となる。具体的には、情報の表し方と処理手順の工夫の1つとして、アルゴリズム(e.g., ソートプログラムの比較など)の必要性を理解させたりする。また、問題のモデル化、予測に関して、コンピュータを積極的に活用するよう働きかける。つまり、時系列データの中からある一定のパターンを見出すのに、コンピュータを利用する事例などが紹介されることになる。その他にも、インターフェースデザインの重要性、バリアフリー設計などについても学ぶことになっている。

次に「情報C」であるが、この科目を「情報B」との対比で分かりやすく説明するならば文系科目となるだろう。基本的な骨子をまとめれば、『情報のデジタル化やネットワークの特性を理解させ、表現やコミュニケーションなどを効果的に活用する能力を養うとともに、情報化の進展が社会に及ぼす影響を理解させ、情報社会に参加する上での望ましい態度を育てる』となる。具体的には、マルチモーダルなディジタルコンテンツの特性理解と、ネット技術の基本的メカニズムの理解、情報の発信・収集に伴う問題(著作権など)の理解などについて、学ぶことになっている。

以上の「情報B・C」に対して、では、一体「情報A」がどのように位置づけられているかであるが、これは、「情報B・C」の内容を極めて薄く平たく延ばしたような内容となっている。この科目で扱うべき内容としては、『コンピュータの活用を通じて、情報を適切に収集・発信するための基礎的な知識と技能を修得させる』ことが掲げられている。しかしながら、具体的な技能としてはメールの活用とWWWの活用に留まっており、それより内容的に深めたものは扱わない。つまり、大胆に言い切ってしまうと、小学生高学年から中学生で修得すべき非常にベーシックな情報処理能力を、高校でフォローする科目として位置づけられているといえるであろう。そのような意味では、現時点(平成12年度)で大学の教養基礎科目として出講されている『情報機器の操作(宮城教育大では「道具としてのコンピュータ」として出講)』と同程度の内容といえるかも知れない。

したがって、おそらく今後10年もしないうちに「情報A」は廃止されることが予想されている(教育と情報座談会、2000)。これは単純に、あと10年もしないうちに、小学校の段階でメールやWWWの活用がごく当たり前の話になるからである。おそらく、10年後の高校生にとってメールやWWWが使えるのは当たり前で、彼らが高校で学ぶ「情報」はそれ以上の内容とならなければいけないはずである。つまり、それ以上の内容について学ぶのが、高校で開講される「情報B」や「情報C」になるはずである。ただし、現時点では「情報B/C」を担当できる教員自体がそれほど多くはないことや、全くPCをさわったことがないという学生が多数いることから、「情報A」の存在意義も十分にあるといえるであろう。しかし、そのような啓蒙の時代は、実質的にあと4・5年もしたら終わってしまうはずであり、それと同時に「情報A」の存在意義も消失すると予想される。

以下の章では、 文部省の答申「体系的な情報教育の実施に向けて」[5]とバーチャル・エージェンシー「教育の情報化プロジェクト」報告の概要[6]を基にして、実際の教育現場でどのように情報機器、インターネットを活用していくか考察していきたい。

目次に戻る

2. 辞書としてのインターネット

辞書としてインターネットを使うこと、これが恐らくもっとも利用頻度が高いと思われる。WWWは発展段階にあるが、現時点で下手な百科事典を既に凌駕している。たとえば、Lawrence & Giles [7] によれば、Webの規模が3億2000万ページ以上であることが報告されている。もちろん、上記のページの中には内容の重複もあるだろうし、学術・教育的なデータはまだまだ不十分であるが、近い将来には、現在の薄っぺらい教科書を補完するような、分厚い参考書として使うことができるようになる可能性がある。今後、ますます拡充されていくであろうWebページをいかに使いこなすかが、教育場面で重要な役割を果たすようになると思われる。たとえば、既に現時点でもアクセスできる有益なサイトとして、SciLNNK[8]やインターネット版理科の部屋[9]などが存在する。

ここで今後重要になるであろうことは、教科書とインターネット(Webページ)との連係であろう。たとえば、既に全米理科教師協会(National Science Teacher Association)では、NASAなどの援助を受けながら教科書出版社と協力してSciLNNKに取り組んでいる。まだそれほど一般的なものとなっているとは言い難いが、近い将来においては、Webページとの連係はもちろんだが、教科書にCD-ROMやDVD-ROMが標準添付される可能性もあるだろう。つまり、紙の教科書とCD-ROMの教科書のどちらが主従となるかは分からないが、CD-ROMの教科書を読みながら、Hyper Linkを辿って関連項目について学ぶという学習スタイルが、SFの世界だけの話ではなくなりつつあるのだ。少なくとも、このような教科書を作ることは技術的にもコスト的にも十分可能な作業となっている。たとえば、今ではコンピュータ関連の雑誌に分野が限られているが、雑誌の本文記事とCD-ROMとが連動しているものが既にいくつも存在する。

ちなみに、小学館が出している「小学一年生」の「入学準備号 (2001年3月発行)」に、付録としてゴールドラディスクというふざけた名前の CD-ROMがついてきた。小学生をもつ家庭のPC普及率が実際にどうなっているかは不明であるが、あの小学一年生の付録についてくるところまで来てしまったということは、象徴的な出来事のように思う。(2001年4月13日更新)
更に蛇足ながら、いくつかの統計資料をここに示しておこう。

このとき、教科書と同程度に重要になる可能性があるのが検索サイト(Search site / engine)と呼ばれるサイトである。要するに、非常に規模の大きい辞典や参考書のインデックスとして、検索サイトが機能するわけである。また、生徒たちが主体的に一次資料を取り出すときや、生徒の発想を膨らませるとき、裏付け作業を行ったりするときに重要な役割を果たすと考えられる。

この重要な役割を担うであろう検索サイトは、そのデータベースの作り方によって、登録型のサイトとロボット検索型のサイトに大別できる。しかし、純粋に登録制(Web作成者による自己申請や他者推薦)でWebページのデータベースを作っているのは、現在ではYahooだけであろう。ロボット型の検索サイトとは、定期巡航しているロボットが収集してきたデータから、(全文)検索インデックスを作成して提供するシステムである。登録型の検索サイトは別名ディレクトリサービスと呼ばれることもある。また、検索サイトがこの種のディレクトリサービスを提供することによって、検索サイトはポータルサイト(portal site)と機能していることが多い。ここでいうところのポータルとは、(インターネットの)玄関・窓口という意味で使われているが、現在はポータルサイトは"第3のデスクトップ(常に露出される画面)"と位置づけられている。つまり、テレビを視聴するときに流されるコマーシャルフィルムと同様に、この第3のデスクトップを制覇できれば、世界でも有数の広告媒体となるといえるであろう。たとえば、ネットバブルも沈静化の傾向にあるが、Yahooといったインターネット関連企業の株価が高いのは、第3のデスクトップが広告メディアとして重要視されているからである。

以下のリストは主に日本のサイトが対象のものである。ロボット型の検索サイトもポータルサイト化が進んだ結果、ジャンルやおすすめ情報の併用、掲示板システムや様々なデータベースとの連係が当たり前のようになっている。その結果、登録型ディレクトリサービスとロボット検索型サイトとの違いは実質的になくなりつつある(参考資料平の検索猿人) 。

ただし、ここでよく注意する必要があることは、上記の一連の検索エンジンでカバーされているWebページは、Webページの総数の僅か16パーセントに過ぎないということである(Lawrence & Giles [16])。特に、Lawrence & Gilesによれば、大学などの研究機関を中心とした教育・学術系のサイトの網羅率が、驚くほど低いと述べられている。これが本当であれば、インターネットを使った調べ学習のやりを根本から見直さなければならない可能性もあるだろう。

また、検索を行うことによって何が調べられるかが、指定される検索語によって決まってしまうため、検索によって実際にどれほどの広がりが出てくるのかがよく分からないことにも注意すべきであろう。つまり、調べ学習などでは、生徒が自らの身の丈に合わせた問題設定や評価基準の設定を行っていくわけだが、無知をベースにした調べ学習には、自ずと限界が生じることも予想される。おそらく、高校時代の不得意科目などがまさにそうだと思われるが、不得意科目で何がもっとも深刻な問題かというと、「何が分からないかが分からない」という状態であろう。たとえば、当たり前の話であるが、辞書や百科事典としてインターネットを活用するのは構わないが、辞書や百科事典だけで学習が成立するわけではない。一度の検索で意中のページを探し当てられれば良いが、たいていの場合は二度三度と検索語を変えて検索する必要がある。そういうい場面で必要とされるのはその領域についての知識であって、検索エンジンに関する知識ではない。既にある程度の基礎学力があって、なおかつ「調べ学習」を積極的に行う生徒たち、薄っぺらい教科書だけでは不満な優秀な生徒たちにとって、インターネットは優れた教科書になる可能性はあるが、そうでない生徒たちにとってはなんの意味も持たないかも知れない。

したがって、WWWは情報の大海と言いながらも、実際にはそれを検索する唯一の手だてである検索エンジンの網羅率は驚くほど低いし、運良くヒット数が多い状況であっても、単に情報の大海に生徒を突き落とすだけになりかねないということである。このような問題を解決するためには、教師があらかじめ関連トピックについてのリンクページを作ったりするなど、事前準備が必要となるはずである。その他にも、個々の検索サイトのカバー率が低くて思ったような結果が得られない場合には、複数の検索サイトの出力結果を比較検討するなど、いわゆるメタサーチを行うべきであろう。また更に、細かい専門的な検索を行う場合には、特定分野に絞ったリンク集や検索サイトを利用するなどの工夫も必要とされるかもしれない。たとえば、特定の分野に絞ったリンク集(兼検索エンジン)の紹介として、Yahoo Internet Guide -- 1999/11特集がある。

なお、 上記の問題は何も検索サイトを用いた調べ学習に固有の問題ではない。 調べ学習全般に関わる問題として捉えるべきである。この辺りの問題は、 検索サイトを調べ学習に導入するときのヒント で考察しているのでそちらを参照してほしい。 (本節は2002年6月25日追加)

目次に戻る

3. メディアリテラシー教育

テレビのニュース番組や新聞の記事には、間違いないしは意図的な間違いやデマが多い。たとえば、「宇崎喜代美のホームページへ[17]」 というページでは、タイで逮捕された田中義三氏や、ビルマ学生による大使館占拠事件の真相が書かれている。単純に言ってしまえば、この2 つの事件は、逮捕された側(田中氏)も占拠した側(ビルマ人学生)も悪くはないということになるが、新聞では完全に逆の扱いをしていた。

もちろん、全ての記事、ニュースが大本営発表のように嘘でかためられたデマばかりというわけではない。また、ニュースで提示された情報というのは、特定の立場で必ず編集、加工されたものであるが、これ自体は別に悪いことではない。全ての情報を編集せずに公平に提供することは望ましいかも知れないが、なにが重要であるかが分かりづらくなることもあるだろうし、編者のオリジナリティを発揮する余地もなくなってしまう。

しかしながら、よく指摘されることではあるが、海外のメディアと日本のメディアとで同じ事件であるのに扱い方が異なるケースが数多くある。ことの真相は実際に現地に行って自分の目で確かめない限り分からないが、少なくとも、何らかの利害関係に基づいた事件であるならば、もう一方の別の立場から眺めた情報を知らない限り、かなり歪んだ理解になってしまうおそれがある。また、署名記事であればまだしも、署名がない記事で、「一般の人々は・・・」と書かれていると、「一般の人はそうなのか」と思考を停止させてついつい信じ込んでしまうこともある。

その情報が誰によって流され誰が利益を得るのか、そして、なぜその情報がこのタイミングでリリースされるのかといった前後関係も理解した上でニュースを見ていると思わぬ発見があるのかも、しれない。原則として、マスメディアと呼ばれるものは全て偏向していて、ある程度のバイアスがかかっているものと考えて受容すべきである。しかし、多くの場合、その偏向具合をボカした形で情報が提供されるので、よく気をつける必要がある。偏向していること自体は悪いことではないが、それを有耶無耶にしてあたかも中立的であるような素振りをしているメディアが多いので、少なくとも、話を鵜呑みにしないことは重要であろう。

こういった情報の歪みを補正するときに、Webページを中心としたインターネット環境は有効に機能する。つまり、生徒が見聞きしたニュース以外の別の視点で描かれたニュースを、上記の情報検索、辞書機能を利用して、かなり容易にタダで入手できるということである。人は一般的に、新聞や雑誌、テレビなど、マスメディアの権威性を誤って高く評価しがちであるが、上記のようなWebページを見ることによって、マスメディアにに対してニュートラルに接する態度を形成できるようになる可能性もある。

ただし、Webページというものは、検閲や情報統制による影響を受けやすいメディアといえるし、極端なバイアスがかかった情報が意図的に流されることもある。つまり、複数の情報ソースを持つことが重要であって、Webページ上の情報に過剰な信頼をおくのは、新聞だけを情報ソースにすること以上に問題がある点に注意すべきである。

たとえば、 特定の団体が意図的に偏見を助長するようなページを作成したりすることもあるので、 それが書かれた背景をよく理解して読まないと大変なことになる。 偏見を助長するという例からはハズレてしまうが、たとえば、 特定の団体が意図的にデータを改竄した格好の例としてMSの情けない行為を挙げることができるであろう (他にも、 XBOXでの提灯記事 の存在なども疑われている)。 また、 そもそもページを検索するときに指定する単語が 特定の意見に片寄ったものだけであれば、 得られる情報も片寄ったものとなるため、 Webページを検索したことによって視野が広がる確率は低いといえよう。 電話一本、電子メール一本きただけで、 クレームが付いたWebページを作者(利用者)に無断で即刻削除してしまうインターネット接続業者も存在するし、更に、検索ページやプロバイダによるWebページやの情報統制が過去に行われてきた疑いもある。したがって、Webページに書かれている情報よりも、テレビや新聞で報じられたニュースの方が確率的により確らしいのはいうまでもない。

その他にも、たとえば、日本人が韓国を見下すような記事を投稿し、 それと同時に韓国人が日本を低く見下すような記事をポストするという、 相互の国々を衝突させて楽しみを見い出すような、 そういう愚劣な人間がいる。 以下のサンプルはまさにその良い例である。 こういうことをして喜ぶのは、 日本人でも韓国人でもない第三者的な人間である可能性が高いと思われるが、 とにかくよく見比べて、そして、 冷静に批判的にメディアと接することの重要性を理解してほしい。 少なくとも、 単純な煽りにのって、ヒートアップすることの愚かしさがよく分かるであろう。 (本節は2002年6月24日に追加)

なお、現在はほとんどの新聞社が自社のニュースを各社のWeb上でリアルタイムに公開している。ニュースの速報性を重視するならば、普通に新聞を購読するよりも、新聞社のWebページを見に行った方が良い可能性すらある。

参考までに以下のサイトを紹介しておく。

その他にも、無料でアクセス可能なニュースリンク集[26]まで存在する。プロバイダーへ支払う接続料とNTTに支払う通信料を合わせた金額が、新聞の月刊講読料とほぼ等しくなってきているので、紙の新聞を購読しない人が実際に出てきている。上記のリンク集を見れば、これがそれほど奇抜な行動ではないのが実感できると思う。

目次に戻る

4. 双方向メディアとしてのインターネット

双方向性のメディアを利用することのメリットとしては、もちろん、プレゼンテーションスキルの向上なども含まれる。たとえば、公的な場所で自分の意見を主張する訓練などである。また、インターネットは「便所の落書きだ」とあるキャスターがコメントしていたが、それでも、生徒たちが作ったページを、自分たちの知らない誰かが観てくれて、そして意見や感想を送ってくれるかも知れないということは励みになるであろう。このような双方向性は、創作し発表する側の意欲や活動に強い影響力を持っていると言えるであろう。

また、そもそも手際よく情報収集して活用するプロセスの中には、読み手からのフィードバックを臨機応変に取り入れるようなダイナミックな構成過程も含まれているはずである。WWWを単なる辞書にしてしまうのはもったいなさ過ぎる。

しかしながら、ここでは別の側面、学校という組織にもたらす影響について簡単に述べてみたい。

インターネットが学校組織に対して及ぼす影響というものは、情報の公開という点で大きいはずである。学校側とPTAなどとの交流が促進されるし, 地域社会との連係を持つことができるようになる。特に、これまでは教員と保護者が緊密な連絡をとることは時間的制約などから非常に困難であった。しかし、インターネットを使った連絡システム、会合システムを利用すれば、場所や時間の制約という問題が解消され、定期的に場所を定めた会合を持つ必要性があまりなくなる。

たとえば、インターネットの特徴として、参加型の機能を持っていることが挙げられる。その例としてE-mailを考えてみよう。メールを利用したサービスには一般のE-Mail以外にも、メーリングリスト(Mailing List;ML)がある。メーリングリストとは、基本的にはメールのヘッダー情報の1つであるCc(Carbon Copy)を利用して実現されるようなサービスで、一度に複数のメンバーに同一の内容のメールを配信することができる。また、上記のようなMLを実装するスクリプトを用意しなくとも、Ccの機能を使えば、それだけで複数のメンバーに同時に同一の内容のメールを発信できる。つまり、普通に利用しているパーソナルなメールも、マスなメディアとして利用することができるということである。

このメーリングリストの例に端的に見られるように、インターネット上のやり取りは、パーソナルな通信とマスな通信との違いが曖昧でシームレスにつながっている。メール以外の代表的なメディアとしては、以下のようなものがある。

上から比較的マスなメディアの順に並んでいる。それぞれに、それぞれの長所・短所があるので、適宜使い分けていく必要がある。

しかしながら,上記のような学校の変革は素晴らしいといえるであろうが、校長など管理スタッフたちの意識改革も必要とされる。管理責任をもつ人間と実際の担当者・運営者とのあいだで、しっかりとした連係がとれていないと深刻なトラブルが発生する可能性もある。ネット上のルールを管理職の人間がどれくらい理解しているかで、成功するかしないかが決まるといえるかも知れない。たとえば、Webベースの掲示板での揉めごと処理手続きに習熟していないと、民事裁判などで管理者側(学校)が訴えられる可能性すらある。実際、Niftyなどでは名誉毀損と関連した民事裁判が既に何件か起きているので、対応方法について注意が必要である(たとえば、「NIFTY-Serve現代思想フォーラム名誉毀損事件裁判資料」[31]や 「名誉毀損とプライバシー」[32]が参考になる)。

では、インターネットを活用する上で、具体的にはどのような教師であることが望ましいのであろうか?これは100校プロジェクト[33]など、既存の取り組みの成果からある程度垣間見ることができる。おそらく、掲示板の運営やMLなどで強く当てはまる特徴であると思われるが、基本的には、生徒と外的環境との交流を促進させるような、アドバイザーやファシリテーターであることが最も適応的な教師像となっている。つまり、この場合には、教師が全ての知識を持っているという「教授モデル」から、「支援モデル」へと変化するべきだといえるであろう。ただし、支援と一口で言っても様々なレベルの支援が存在するはずであり、生徒たちが余計な脇道にそれないように指導するといった、教師に対して非常に強いリーダーシップが要求される場面にも遭遇するであろう。そのような意味では、インターネットを使った授業では、これまで以上に、教師の即興性に関する能力が重要になってくるといえるかも知れない(たとえば、利用可能な情報機器環境によっては、後述するフィルタリング・ソフトとして教師が機能しなければならない可能性もある)。

なお、大学を対象としたセキュリティ対応マニュアルが 以下のページに掲載されている( 大学の情報セキュリティポリシーに関する研究会 )。 ここまで完備された対応が本当に必要かどうか疑問に感じるかも知れないが、 法的な訴訟も視野にいれて、できる限り事前に対策を立てておいた方が良い。 とりあえず、「やるだけのことはやった。 私たちは責任を果たそうと努力した」という 保険をかけておくに越したことはないと思う。 (2002年5月9日追加)

目次に戻る

5. インターネット社会におけるモラル

インターネットを利用する場合には、事前に情報社会への参加のしかたのマナーを修得していることが望まれる(たとえば 「パソコン通信サービスを利用する方へのルール&マナー集」[34]を参照)。しかしながら、インターネット、ネット社会、情報社会といっても、特別な社会ではない。ごく普通の日常生活の延長線上にあるものと理解する必要がある。インターネットにおける行動規範と、実社会における行動規範とは共通するところが多いと考えるべきであろう。実際に、著作権と関連した引用形態の問題や、検索結果の裏付け調査のためのメールなどいわゆる社会全般における礼儀を適切に伝えていく必要があるだろう。

この辺りのモラル・倫理的な問題は情報倫理の構築プロジェクトで詳しく論じられている。学術的な報告が主体なのでやや取っつきにくいが一読されたい。また、ネチケットに関する網羅的なページ(ネチケット・ホームページ)や鵜川先生が書かれたネットワーク利用初心者への注意 インターネットを利用する方のためのルール&マナー集 が存在するので、そちらもあわせてご覧いただきたい。(2001年6月26日追加)

更に言うと、たとえば、インターネットの特徴として、互助の精神に基づいて発展してきたという歴史的背景がある。むしろ、そういう意味では、インターネットは現実の社会よりもよりボランティア型の社会といえなくもない。事実、このWebページからリンクしているように、著作権を主張していながらも、全くのタダで配られている優秀なフリーソフトが数多く存在する(たとえば、Vector[35]や窓の森[36] が有名である)。インターネットの世界では、ボランティアで有能なプログラマはハッカー(Hacker)と呼ばれ、哲学的に非常にクールな存在であり、そのような人物は高く評価されてきた。

ちなみに、ハック(hack)とは、ハックするとかされるとか、色々な使われ方をされているが、"Quick Hack"といった表現が一般的な使われ方のようである(詳しくはWhat's a Hack?[37]を参照)。つまり、ここでいうところのハックとは、何も大規模なプログラムを真面目に一から作っていくような作業ではなく、お手軽な手直しのような作業を意味している。このことは、インターネットが、様々な協力者の基に手探りで試行錯誤をしながら開発されてきた経緯と対応していると思われる。実際に、現時点(平成12年4月)における2大WebブラウザーであるマイクロソフトのInternet ExplorerとNetscape Communicatorには、いくつか致命的なセキュリティホールが存在する。このようなセキュリティーホールを、何とかしようと小技を日夜駆使してプログラムを(良い意味でも・悪い意味でも)ハックしている人がいて、初めて、より安全で便利なソフトに仕上がっていくのである。そういう意味では、インターネットでは、ある程度の専門的な知識とやる気と少々のヒラメキがあれば、誰でもハッカーになれる可能性があるのかも知れない。たとえば、生徒が作ったプログラムがAWKやSEDの一行野郎(One-Liner[38])であっても、それが有用なものであれば、それだけで生徒はハッカーに近づいたといえるであろう。

参考までにGNU Software Foundation[39] のページも挙げておくので、そちらの声明文[40] や『オープンソースソフトウェア(彼らはいかにしてビジネススタンダードになったか)』[41]、“The Cathedral and the Bazaar”[42]を一読して欲しい。マイクロソフトやマッキントッシュ以外にも、このような世界が存在することを知っておくのは無駄ではないはずだ。どうしてそのようなソフトが存在するのか、インターネットの発展プロセスと合わせて生徒に教えることは、生徒たちの行動や考え方に影響を与えると思う。この点については是非ともふれるべきであろう。

5.1 感情表現の重要性

何度も繰り返すが、基本的には、インターネットでも普段通りの行動をとるべきである。しかし、インターネット社会のある種の特徴として、ついつい、非常識な行動・言動をとってしまう傾向にあることも指摘せざるをえないだろう。つまり、実際に面と向かって居ないので、普段通りの行動をとるという大原則が、インターネットでは忘れされる傾向にあるということである。たとえば、前述のような裁判沙汰に発展してしまったケースなどでは特にそうであるが、既存の社会と切り離して、インターネットを特別な社会であると思いこんでしまったことが、最大の原因であるように思われる。むしろ、原則として文章だけで意見や感想を述べあうことを考えると、日常生活以上に慎重な言動を心がけるべきであろう。既に深いつき合いがある場合を除いて、文章だけで全てのやり取りを完結させることは、かなり難しい作業であることを認識しておく必要があるだろう。

たとえば、文章だけでは声のイントネーションなどを表現できない。そのため、書き手がどのような感情状態にあるのか、どのような意図で書いているのかが伝わり難いことがあったりする。このように文字だけでは伝わりにくい感情を表現する補助として、フェイスマーク(Facemark)、顔文字といった表現が開発されてきた。たとえば、次のような顔文字が存在する。

これらの顔文字は英語圏では"Emoticon=Emotion + Icon"と呼ばれることがある。日本語ではテキストに対して顔が正面を向いていることが多いのに対して、欧米諸国では顔が反時計回りに横向きになっていることが多い。たとえば、8−)や:−pといったものが使われている。英語圏、日本語圏、いずれにしても、使い方は、「いやはや、困っちゃうよなぁ。(^o^)」とか、「いやはや、困っちゃうよなぁ。(T_T)」といった感じに利用されている。これらの記号の詳細については、顔文字のページ(^_^)で知ることができる。

ただし、この顔文字という記号は、凝りはじめるとキリがないし、状況によってはかえって不評をかうこともある(e.g., 目上の人へのメールなど)ので注意が必要である。たとえば、過剰に顔文字を使うと知性が疑われるが(⌒∇⌒)ノ全くないのも味気ないと言われている。Ψ(`∀´)Ψヒヒヒ要は、顔文字という記号も、適切な分量を適切なポイントで利用するという、ごく普通の文章テクニックの1つと考えるべきであろう。

なお、

     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ
     /   ,――――-ミ
   /  / / \   |
   |  /' (・)(・)|
  (6      つ  |
   |     __  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
   |     /__/ /  < そんなわけないジャン! 
  /|      /\    \___________ 


     Λ_Λ    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ´∀`)< やっほ〜
 (    )  \_____
   | |  | |
   (_)  (_)

といったかなり特殊な顔文字も存在する。ここまでくると顔文字と言うよりも、ASCIIアート(ASCIIコードで定められた文字だけで作る絵)に近いものになってしまうが、顔文字とASCIIアートの境目は曖昧であるように思われる。

5.2 フィルタリング・ツール

ここで少し話を変えて、Webページの検閲について説明してみたい。これはおそらく教育現場ではかなり切実な問題となっていると思われるが、アダルトコンテンツや偏見や差別を助長するようなWebページの閲覧についてである。

言うまでもないことであるが、Web ページには政治経済を真面目に論争するものから、通称「18禁」と呼ばれる内容のWeb ページや差別を助長するようなWeb ページまで含まれる。一般的には、意図的に法に触れるような内容を作成するページ数は、やはりネット上でも少ない。違法なWeb ページと合法的なWebページの比率は、おそらく1対9以下の割合であろう。前掲のLawrence & Giles [16] によれば、いわゆるアダルトコンテンツに相当するWebページは、全体の僅か1.5パーセントしかないと報告されている。したがって、普通の方法、たとえば漫然とWebサーフィンをしているだけでは、偶然に見つけることは非常に困難と考えてよいであろう。言い換えると、明示的、意図的に探して、はじめて、教育上の問題が生じそうなWebページを閲覧できるようになるわけである。たとえば、はじめに紹介した検索サイトで意図的に違法行為に関連した検索語を指定してやらないと、上記のような不法サイトを発見することは難しいだろう。

以上の問題発生のメカニズムはWWWのメカニズム上いたしかたのないことではあるが、違法サイト、生徒たちに見せたくないサイトをシステマティックにブロックするソフト(フィルタリング・ソフト − たとえば 電子ネットワーク協議会による「レイティング/フィルタリング情報ページ」[44] )を利用すれば、ある程度は閲覧を未然に防ぐこともできる。しかし、ここで注意して欲しいことは、このようなフィルタリング・ソフトは万能ではないことである。たとえば、合法的で教育上有用なWebページも見ることができなくさせてしまうこともある。大まかにいうとこの手のフィルタリング・ソフトには、閲覧を禁止したいページを教師が順次登録していくタイプ(ブラックリストによるフィルタリング)と、教師が見せたいページだけを登録していくタイプ(ホワイトリストによるフィルタリング)の2通りがある。どちらのタイプにも一長一短があるのは言うまでもないだろう。極端な例を挙げると、たとえば、画像データだけで構成されたアダルトページの閲覧を禁止させるためには、画像ファイルを読み込ませることを禁止するしかない。逆に、ホワイトリストによるフィルタリングツールを導入すれば、教師が設定したサイト以外は見に行けなくなるため、十分な調べ学習が行えなくなる可能性もでてくる。

また、結果的にそうせざるを得ないという側面の方が強いかも知れないが、上記のようなソフトウエア的なフィルタリング以外にも、教師の自身がフィルタリングソフトの役割を果たす場合も考えられる。たとえば、現時点では、教室にある全てのコンピュータ端末がネットワークに繋がっているわけではない。文部省のバーチャル・エージェンシー「教育の情報化プロジェクト」報告の概要[6]によれば、1999年12月の時点で、インターネットに接続されている学校は全体の35.6パーセントで、教育用コンピュータ1台あたりの児童生徒数は15.3人という惨憺たる状況である。このような場合に、たとえばメールを使った国際交流を行うときには、教師が代表して相手側にメールを送ることになるであろう。教師が情報のやり取りに介在する利用方法は、インターネットの即時性を著しく妨げる。しかしながら、不適切な表現や、誤解を与えやすい表現によるトラブルを未然に防ぐのに役立つ可能性もある。たとえば、小学校の低学年など文章表現技術が十分に磨かれていないような状況や、インターネットの導入したての段階では、教師が積極的に介入していく必要があるといえるであろう。その他にも、このような教師によるフィルタリングは、昨今問題にされている女子生徒へのストーキング行為に対する防御壁となりうるであろう。

しかしながら、これはあくまでも個人的な意見でしかないが、私は、上記のようなフィルタリングシステムの導入は緩やかなものにすべきであると思う。むしろ、性差別を助長するようなページ、人権侵害を助長するようなページ、違法行為を促すようなページなどを、インターネットを本格的に導入する前に紹介して、なぜこれらに問題があるかをしっかりと生徒たちに考えさせるべきであろう。

たとえば、マルチまがい商法とマルチ商法とは法律的には全く異なる営業形態であるが、どうして前者が違法で、後者が合法的な商行為であるか、どれだけの成人がきちんと理解しているであろうか?同様に、カルトと呼ばれている宗教が実際にどのように勧誘してくるのか、どれくらいの人が体験して理解しているであろうか?これらの知識が欠落していたために、高校卒業後に誤った選択を行ってしまった大学生というのは、それこそ星の数ほどいる。これら実社会で深刻なトラブルを引き起こす可能性のあるテーマを生徒たちに考えさせる上で、WWWを教材とした教育は有効に機能すると思われる(たとえば、悪徳商法マニアックス[45]や国民生活センター[46]は非常に参考になるであろう)。実際の社会に出る前の社会勉強として、ある程度の毒に慣れておくことは必要であるように思われる。もちろん、小学校の低学年の児童にわざわざ教える必要はないとは思うが、生徒たちが興味を持ちはじめた頃を見計らって、適切な見方や対応方法を考えさせるのは少なくとも悪いことではないだろう。なんといっても、Webページを見ているだけであれば、メールアドレスが第三者に知られることもないので安全に教えることができる。

目次に戻る

実践例の紹介

以下の事例は Eスクエァ で報告されたものである。

現時点(平成13年6月20日)ではコンピュータ・ルームすら存在しない学校から、100校プロジェクト参加校まで様々なレベルが存在するため、必ずしも上記実践例をすぐさま活用できるとは限らない。しかし、数年後には大半の学校が上記先進校とほぼ同じような環境になっているはずであり、実践例としてかなり即効性が高い事例と思われる。

目次に戻る

6. 一般的考察

現時点では、現代における文房具、生活ツールとしてコンピュータに習熟させることが重視されているといえよう。少なくとも、コンピュータを使ったからといって、授業が必ずしも解りやすくなるわけではない。 文部省(小渕総理)[47] が、どうしてあれほど楽観的になれるかが不思議である。

たとえば、これまでにも良い教材というものは数多く存在していたはずであるが、そのノウハウの吟味なくして、安易にコンピュータを利用するのは、現場を混乱させるだけであろう。既に述べたとおり、「調べ学習」を積極的に行う生徒たち、薄っぺらい教科書だけでは不満な優秀な生徒たちにとって、インターネットは優れた教科書になる可能性はあるが、そうでない生徒たちにとってはなんの意味も持たないかも知れない。そういう意味では、安易にインターネットの導入に情熱を燃やすことは、「賢い生徒はより賢く、そうでない生徒はより愚かに」といった具合に、格差を広げることになる可能性もある。

また、現時点では、教材として使えるソフト自体が少な過ぎるし、現場でソフトを開発するのは負荷が高すぎる。更に厳しいことを指摘すると、コンピュータの規格が物凄い勢いで変化していくので、使えそうなソフトを運よく発見できたとしても、そのソフトが10年後とか、下手をすると5年後も同じように使えるかどうか、全く保証がない。実際に、私が数年前に書いた実験プログラムはWindoes 95の上では動かない。動かすソフトが、特定の機種、OS に依存したものであるならば、ノウハウの蓄積という面で大きな問題を抱えることになる。今後は、おそらく、JAVAやJAVA ScriptといったWeb ベースのプログラム(Network Loadable Objects)が主流となるはずである。しかし、これらの言語で書かれたソフトであっても、言語仕様の問題やBrowserの対応問題、セキュリティの問題などクリヤーすべき課題が多く、将来どのような言語仕様・実装になるかが完全には定まっていない(JAVAという言語が公的に発表されたのが1995年の6月、つまり、たったの5年しかたっていないので当然のことである)。この規格問題については、アメリカでは SIF[48](School Interoperatability Framework)が教育ソフトの統一規格策定に向けて動き始めている。おそらく、将来的には、CALS(Continuous Acquisition and Life-cycle Support[49] といったデータフォーマットの統一規格と連動したプロジェクトになると予想されるが、日本ではこれに相当するプロジェクトがまだ立ち上がっていないように思われる。

したがって、実際には、教科教育にCAIを利用するメリットはまだよく解っていないし、Web ページの充実度もまだ不十分と考えるべきである。たとえば、前掲のLawrence & Giles [16] によれば、Webページの83パーセントが商業コンテンツで、学術・教育はわずか6パーセントに過ぎないと報告されている。数理科学や作文指導など、効果を上げそうな領域は数多く存在するが、情報化、コンピュータ化が速効性のある万能薬ではないのは明らかである。むしろ、これまでも教育への資本投資の量や教材開発に対して費やされる労力がそれほど多くなかったことから考えると、今後行われると述べられているCAI作成ツールの開発や、Webコンテンツの充実について、安易に楽観視できる方が不思議である。

たとえば、バーチャル・エージェンシー「教育の情報化プロジェクト」報告の中の「プロジェクトの構築方針」[50] には以下の文章が記されている。

  1. 教育用コンテンツの開発・普及については、 民間事業者の創意工夫を活用するものとする。
  2. 技術開発については、必要不可欠なものに限る。

ここでいう技術開発とは、純粋にハードウエアや通信技術の開発を指している。そして、いわゆる教育方法、教育技術と呼ばれてきた内容は、「ソフト面の取り組み」という柱に含まれ、基本的には民間主導のプロジェクトである旨が述べられているのである。つまり、ソフトウエアハウスが本腰をいれて取り組んでくれないと、このプロジェクトが計画倒れになる可能性もあるといえるであろう。それにも関わらず、1999年度の時点で報告されている代表的な民間プロジェクトとしては、自由対話を可能とする英会話学習ソフトの開発(沖ソフトウエア)、音楽創作活動を支援する作詞作曲ソフトウエアの開発(ミュージカルプラン)などがあるが、前掲の100校プロジェクトに参加している協力企業は、平成12年4月13日の時点で67社[51]しかない。この企業数は、前掲の教育ソフトの統一規格であるSIFに参加している69社[52] とほぼ同数である。SIFは1999年2月に発足したばかりの団体であるのに対して、100校プロジェクトは1994年にスタートした計画であることを考えると、彼我の企業の取り組み方の違いが伺い知れるであろう。下手をすると、既存の箱もの行政と類似の取り組みになってしまうおそれもあるように思われる。

たとえば、現在売られているパソコン雑誌の広告を見れば分かる通り、ハードウェアに関する広告は非常に数多いが、ソフトウェアに関する広告はかなり少ないのが現状である。ようやくハードウェアが一般の関心事になりつつあるといったところであって、まだソフトウェアは一般人の興味対象に含まれていない。ソフトウェア市場は甚だ低い成熟度にあるといえよう。もっといえば、よしんばソフトハウスがきちんと開発してくれたとしても、肝心の学校側が、ソフトを購入したり維持、管理するための予算をもっているかという問題もある。特に、コンピュータというものは、ハードウエアの導入時よりも、維持・管理にコストを要することが多く、この傾向はネットワーク化されるほど強くなる。旗振り役の文部省はともかく、少なくとも学校現場がこのことをどれくらい理解しているかかなり疑問といえよう。

6.1 ヘッドスタートしての情報処理教育

教科教育にコンピュータやインターネットを導入することのメリットというものは、現時点ではそれほど期待ができるものではない。では、なぜ小学校や中学校でわざわざ足並みをそろえて教える必要があるのであろうか?基本的には、国家的な規模で行われる、教師と生徒を対象としたヘッドスタートプロジェクト(head-start project)としてとらえるべきであろう。

たとえば、現在大学で教養として開講されているコンピュータリテラシーの講義は、実際には、わざわざ最高学府である大学の講義として教えるまでもない内容といえよう。「情報A」が廃止されるであろうことと同様に、大学で教養基礎科目として開講されているようなレベルの講義は、今後10年もしないうちに大学では開講されなくなると予想される。おそらく、この程度の使い方であれば、本来はこれほどまでも力を入れて教える必要もないとすらいえるかも知れない。将来的には現在の大学で教養科目として開講しているような「PC使いかた教室」は、小学校、中学校の段階で少なくともクリヤーされているはずである。できるだけ早い時期に、「パソコンを習う」という段階から「パソコンで習う」という段階へと移行してもらいたいものである。 参考までに、情報リテラシの定義について以下のページを挙げておく。 「『情報機器操作』で扱うリテラシについての一考察」 (2002年4月29日追加)

しかしながら、現状では、PCを所有する学生とそうでない学生とのあいだで、ただそれだけでPCの操作ができるできないという差が拡大しつつある。極端な予想を述べると、PCを持っていないだけで、下手をすると、それだけで職業選択の幅も狭まってしまう可能性があるわけである。 たとえば、前掲の バーチャルエージェンシーの報告[5]には、『教員採用について、全ての校種・教科において情報リテラシーを有する者の採用を促進する』と書かれている。情報化が極端に遅れている学校現場ですらこのような状況にあるのだから、一般企業では、コンピュータが使えることはもはや常識以前の技能となっている。

実際に、三洋電気では、平成12年度からの入社試験の第一次選抜を、ネットワーク経由で行う体制に切り替えた。その他にも、試験の実施とまではいかなくとも、自動車メーカーのマツダ[53]のようにWebページでのみ採用情報を告知する会社も出てきている。三洋電機は学生の細かいニーズにあわせるためにネット上で試験を実施すると述べている(たとえばリクルートの就職ナビ[54]を参照)。

しかし、2000年3月5日付けの朝日新聞にも書かれていたが、企業としておそらくもっとも重要なことは、上記のような細やかな対応が可能であることではなく、筆記試験と比べて年間5000万円の経費削減が達成できることであろう。採用情報をWebページのみの公開に切り替えるだけでも、年間500万円のコスト削減につながる。したがって、今後はより多くの企業がネットワーク経由の選抜に切り替えていくことが予想される。つまり、一般的な意味でコンピュータが「できる」ことは既に就職活動でのアドバンテージとはならず、「できない」ことがある意味で驚きをもってとらえられるようになりつつあると言えるであろう(リクルートの就職ナビ[54] を使っていない大学生は、既に皆無に等しいのではないだろうか)。 なお、新卒者対象の就職ナビゲーションとは異なるが、 既卒者を対象にしたリクルーティングもネット経由で盛んに行われている。 オンライン・リクルーティング、「グローバル500企業」に広く浸透

また、平(2001)の調査結果で明らかにされたように、たとえコンピュータを自宅に持っていたとしても、明示的な訓練を受けない限り、インターネット上の資源を自由に使いこなすことができるようにならないという可能性もあるだろう。つまり、インターネット上の資源を利用できるようになるためには、コンピュータを持っているだけでは不十分で、実際にどのような使い道があって、利用することが自然でありいかに便利であるかをユーザーに示す必要があるということである。このような問題を解決しない限り、たとえコンピュータを持っていて、なおかつ利用できるような知的能力が潜在的にあったとしても、インターネット上の資源を利用するようにならないという厳しい現実があるように思われる。(本段落は2001年4月11日に追加)

ある意味で、現在は学歴と同じ程度に基本的なPCの活用能力が、生涯賃金の高低を説明できるような社会システムへと移行しつつあるといえるかも知れない。たとえば、全米通信情報局(National Telecommunications and Information Administration)がまとめた報告書(Falling Through the Net: Defining the Digital Divide[55])によると、所得層、人種、教育レベルなどによるインターネットアクセスの違いが詳しく考察されている。この報告書では、主にInternet PCを持つ者(Haves)と持たざる者(Have nots)が比較されているが、たとえば、低学歴の層(Have nots)と比較して大学卒の学歴を持つ層の人間(Haves)は、実に約16倍もインターネットを利用していると報告している。しかも、この格差は拡大する傾向にある。

このことから早計に因果の連鎖を断定するのは問題があるが、この種のインターネット利用に関する格差がデジタル・ディバイド(Digital Divide)として重要な問題になりつつある。問題としてはそれほど顕在化してはいないが、将来的には、情報能力の差が社会的格差に拍車をかけるという悪循環に陥りかねない。実際に、この悪循環の可能性は、2000年4月3日付けの毎日新聞[56]でも報じられているように、徐々にこの情報能力の格差と年収との格差が開きつつあることが示唆されている。既に忘れ去られつつあるが、1994年にゴア副大統領が第1回世界電気通信開発会議で提案したGII (The global Information Infrastructure)[57] もそのような意図が含まれていた。最近のニュースとしては、2000年2月2日に行ったクリントン大統領の演説[58]でも、このデジタル・ディバイドについて述べている。そこで述べられている事柄は、何も特別なプログラミングスキルの能力ではなく、PCを活用した基本的な知的作業の習得が目的とされているのである。このように、学校外の学習段階で職業選択の幅も決まってしまうという不平等を取り除くためにも、小学校、中学校の段階で、総ての生徒に自由に平等に、PCおよびインターネットにふれさせることは重要な意味を持つと思われる。

その他の急を要する課題としては、パソコン導入についての学校間格差を解消していくことが目標として掲げられていくであろう。たとえば、現時点では、第三次産業に従事する総ての人が、ある程度PCに習熟していることが望まれている。それにも関らず、そうはなっていない現状がある。前掲の 文部省の報告書[59]にもあるとおり、これからは教師もパソコンを使えるようになることが強く望まれている。これは逆に言えば、パソコンを使いこなせる教員がそれだけ少ないことを示唆している。おそらく、教員のほとんどがPCを触ったこともないという学校が、現在も存在するはずである。その結果、暫くのあいだは、生徒たちの情報機器の扱いの習熟度に関して大きな学校間格差が生じると思われる。初めから全ての教員のスキルアップを実現するのは不可能であるにしても、パソコン導入に当たって、コアとなる教員を各校で必ず複数名は確保していかないと、一部の学校で極端な遅れが出てくることも予想される。

目次に戻る

7. まとめ

これまで駆け足で見てきたように、生活能力の習得支援と教科教育への利用とは、現時点では分けて考えるべきであろう。そして、道徳や特別活動の一環としてインターネットを限定的に導入するといったぐあいに、応用範囲を区切って導入するのが、ここ数年のあいだは現実的な対応策といえよう。しかしながら、このような啓蒙活動の時期はすぐに終わってしまうはずである。

むしろ問題とされるのは、教材を作成するソフト(オーサーリングツール)を、できるだけ早い段階で提供していかなければならないということであろう。PCを教科教育に使える道具にしていくためには、使い勝手の良いオーサリングツールが必要不可欠であり、これがない状況でPCを授業に導入することは不可能と思われる。また、本格的にPCを利用した授業に移行したいのであれば、現状の授業をPCで行うようなイメージは捨て去って、「PCを使うとどのような授業ができるのか」という視点が必要とされるであろう。時と場合によっては、既存の教科の枠組みを解体して、PC向きに新たに構築し直す勇気が必要とされるかも知れない。

現状のままだと、おそらくWebページを用いた「調べ学習」以外には、これまでにも存在した単純なドリル形式のソフトが数多く使われると予想される。それでも、既存の紙ベースの教材よりも子供たちの興味を惹きやすいと主張もあるかも知れないが、目新しさがなくなった後の状況に対しては、解決策を提示できないであろう。PCを用いた教科教育に向いた教材とはなんであるのか、そして、そのような教材を作成するツールとはどうあるべきかを、早急に検討していく必要がある。

しかしながら、もしも、教師にとって使い勝手の良いオーサーリングツールがフリーで提供され、なおかつ、PCを使った授業に適した教材開発という視点が生かされるのであれば、ここで述べたような悲観的な予想とは全く異なった結果が得られるはずである。たとえば、PCを使った授業に特化した優れた教材ができたのであれば、県や文部省のWebサーバーで公開することが可能となる。たとえば、現時点で非常に有効に機能しているWebサイトとしては、初めに挙げた全米科学教員協会[8]やインターネット版理科の部屋[9]などが存在する。つまり、上記のサイトを見れば分かるように、誰でも自由にすぐに、最先端の優れた教材を利用することが可能になるのである。このような支援体制が構築されれば、質の問題はさておき、少なくとも教育技術や知識の蓄積スピードがこれまでにないほど加速されるはずである。また、そのノウハウの伝達スピードも、これまでにないものとなる可能性もある。できるだけ早い時期にこのレベルに近づけるように、少なくとも、「パソコンを習う」という現状から脱却することが必要であろう。

追加情報
文部科学省生涯学習政策局によって、 教育用ソフト・コンテンツ紹介 が行われている。 データベースのカテゴリを順次絞りこんだり、 検索することができるようになっていてかなり便利である。 その他にも、以下のような教材サイトが存在する。

しかし、紹介者のコメントに書かれている通り、 これらのソフトが本当に授業で活用できるかというとやや疑問である。 特に、ソフトの面白さ(ゲーム性)と学習への取り組み態度の向上とが、 必ずしも相関していないという指摘は重要だと思う。 つまり、新奇性を追求する分にはよいかもしれないが、 実際にそれを使うことによって学習に広がりが出るかというと、 どうもよく分からないというのが実情のようである。

また、 「本ソフトは様々な分岐を用意しており、多様な生徒のニーズに対応できます」 といったキャッチコピーが見受けられた。 しかし、これは、 「だから、授業計画も何もかも、 教師の代わりにCAIでコンピュータが考えます」 といった非常に教師を馬鹿にしたようなソフトのように思われる。 どうやら、ソフトウエアの方が単元の系統性、網羅性を重視すると、 授業展開を無視したような型にはまった利用になりやすいようだ。 これまでのコンピュータの利用形態としては、 「子どもをプログラムするコンピュータ」という貧困な発想が多かったが、 下手をすると、 「教師をプログラムするコンピュータ」という形態が蔓延するのかも知れない。

基本的には、 利用する教員の授業案次第ということになってしまうのであるが、 単なるプレゼンテーション・ツールやドリル、 マルチメディア図鑑ではなく、 オーサリング・ツールと組み合わせて、 部分的に使いたいところだけを抽出できるような、 柔軟性が欲しいところではないだろうか? そういう意味では、 WebページにおけるJAVAアプレットのような、 モジュール性を高めた細かいオブジェクトを集めたパッケージの方が、 使い回しが効くし自由度も高くて使い勝手がよいように思われる。

これはあくまでも現時点(2001年1月)での予想でしかないが、 HTMLエディター + JAVAアプレット(or JavaScript)という組み合わせで、 教師が自分でWebページを作成していくのが一番楽であるように思う。 この場合は別にJAVAアプレットやDHTMLでなくても、 ある種の動画やビデオクリップでも構わない。 要は、 モジュールとして切り貼りが可能であるということが重要な特徴といえるだろう。

というのも、 生徒としては覚えなければならないソフトがブラウザーだけになるし、 原則的にOSに依存しない格好でいけるというメリットがある。 また、教師としてもHTMLエディターの操作だけを覚えれば、 あとはアプレットなどモジュールを組み込むだけなので、 生徒の学習進度に合わせて、 比較的容易に自分好みの教材を自由に作ることができる。

更には、 ブラウザーはかなり一般的なソフトであるため、 パソコン音痴な教員だとしても扱い易いというメリットもあるだろう。 特に、 教員が新規に覚えなければならない操作の数が確実に少なくなることは、 導入のしやすさを考えると極めて重要であろう。 また、 ソフトウェアのインターフェースとしては枯れている部類に入るので、 今後もそれほど大幅な変更がないであろう。

以上の利点は教員としてというよりも、 普通にソフトウェアを利用するユーザーという感覚でとらえてみても、 かなり重要なはずである。 しかし、それ以上に、 教育の方法・技術の開発サイクルを考えてみるとこれらの特徴はより重要になるといえよう。 たとえば、1つの教育実践がキチンとした形としてまとまるまでには、 どうしても1年や2年はかかってしまう。 そして、1つの型として実践が完成して、これが上手くいく見込みができたのであれば、 普通はできるだけ長く使いたいと考えるはずだ。 それなのに、1年とか2年でせっかく作ったプログラムが動かなくなったり、 極端な場合にはOS自体が廃れてしまったりしたならば、 要するに、 市場の動向によってすぐに道具が使えなくなってしまう可能性が高いのであれば、 開発意欲も著しく削がれてしまうはずだ。 実際、1年や2年では極端な変化はないが、 5年や10年くらいのスパンであれば十分にOSのシェアは逆転するだろうし、 今あるようなPCという概念自体が10年後も健在である保証は全くない。

少し話が脱線しますが、学会発表なんかもそうですけど、 パワーポイントをウレシがって使っている人を見ると、 「何だかなぁ」と思うことがあります。 結局、プレゼンテーションツールとして、 あの手のソフトってそれほど使いやすいとは思えないのですが、 どうなんでしょうか? たとえば、 PPを使えば動きのあるプレゼンができるというかも知れませんが、 別にDHMLでも大丈夫ですし、 安定性という面でもPPよりも IEやNNといった単なるブラウザーの方が優れているような気がするのですが…。 単に使いこなせていないだけかも知れませんが、 個人的には、OHPは一瞬で戻れるし、ハングアップも暴走もしないし\(^0^)/、 パワーポイントなんかよりも遥かに優れているように思います。 どうしてもパソコンを使ってプレゼンをしなければならないのであれば、 おそらく、Webベースでやっちゃうと思います。 それくらい、パワーポイントっていうソフトはくだらないと思うし、 逆に、 ブラウザーというのは安定しているし色んな使い道があるソフトだと思います。

もちろん、 現時点ではアプレットをまともに走らせることができるブラウザーが限られているし、 ブラウザーごとに表示が微妙に異なる。そして、 アプレットを作成することがなかなか容易ではないのも事実である。 しかし、授業で必要とされるアプレットなりスクリプトは、 それこそソフトハウスによって開発してもらえれば済む話であるし、 ブラウザー側の対応も日々進化している。 そういう意味で、 HTMLエディター + JAVAアプレット(JavaScript)という組み合わせは、 かなり現実的なアイディアのような気がする。

目次に戻る

文献

HTML版にも以下のリストは残してあるが、 できるだけ引用個所から直接リンクををはってそこからジャンプできるようにしてある。 したがって、リンクが生きているかどうかで情報の新鮮度を判断していただきたい。

Walker & Taylor [60] は、Scientific StyleにおけるURLの引用スタイルとして以下のような形態を推奨している。『Author's Last Name, Initial(s). (Date of document [if different from date accessed]). Title of document. Title of complete work [if applicable]. Version or File number [if applicable]. (Edition or revision [if applicable]). Protocol and address, access path, or directories (date of access). 』本論文でもこのWalker & Taylor [60] にしたがって文献を表記することにする。ただし、企業や公的団体のトップページで移動があまりないと考えられるものに関しては、アクセスした日付を省略した。


[1] NII (1998). What is NII? The National Information Infrastructure Agenda for Action. http://nii.nist.gov/nii/whatnii.html (28 April, 2000)
[2] NII (1997). National Information Infrastructure (NII) General Information. http://nii.nist.gov/nii/niiinfo.html (28 April, 2000)
[3] 高度情報通信社会推進本部 (1999). 「高度情報通信社会推進に向けた基本方針〜アクション・プラン〜」http://www.kantei.go.jp/jp/it/actionplan/actionplan.html(28 April, 2000)
[4] 社団法人情報処理学会情報処理教育委員会初等中等情報教育委員会 (1998).高等学校 普通教科『情報』の試作教科書 http://www.ics.teikyo-u.ac.jp/InformationStudy/(28 April, 2000)
[5] 情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議(1997). 体系的な情報教育の実施に向けて http://www.monbu.go.jp/series/00000026/ (28 April, 2000)
[6] 生涯学習局学習情報課 (1999). バーチャル・エージェンシー 「教育の情報化プロジェクト」報告の概要 http://www.monbu.go.jp/news/00000413/(28 April, 2000)
[7] Lawrence, S & Giles, C. L. (1998). Searching the world wide web, Science, Vol.280(5360), pp.98-100,
[8] sciLink, National Science Teachers Association, http://www.nsta.org/scilinks/ (28 April, 2000)
[9] インターネット版理科の部屋, NIFTYSERVE教育実践フォーラム【理科の部屋】http://www.edu.ipa.go.jp/mirrors/rika/index.html (28 April, 2000)
[10] Yahoo Japan http://www.yahoo.co.jp/
[11] Infoseek Japan http://www.infoseek.co.jp/
[12] Goo http:/www.goo.ne.jp/
[13] Fresh Eye http://fresheye.toshiba.co.jp/
[14] NTT Directory http://navi.ocn.ne.jp/
[15] Lycos Japan http://www.lycos.co.jp/
[16] Lawrence, S. & Giles, C. L. (1999). Accessibility of Information on the Web , Nature, 400, 107-109,
[17] 宇崎喜代美 (1999). バンコクのビルマ大使館占拠事件について, http://www.zorro-me.com/kiyomi/index.html (28 April, 2000)
[18] 読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/main/main.htm
[19] 朝日新聞 http://www.asahi.com/
[20] 毎日新聞 http://www.mainichi.co.jp/
[21] 産経新聞社 http://www.sankei.co.jp/
[22] 日経新聞 http://money.nikkei.co.jp/
[23] 共同通信 http://www.kyodo.co.jp/
[24] The Times http://www.the-times.co.uk/
[25] News Week http://www.newsweek.com/(28 April, 2000)
[26] 畑仲哲雄 (2000). 無料でアクセス可能なニュースリンク集, http://ing.alacarte.co.jp/~press/news.htm (28 April, 2000)
[27] マグマグ http://www.mag2.com/
[28] Listz.com http://liszt.com/
[29] Yahoo掲示板 http://my.yahoo.co.jp/
[30] GALA 掲示板 http://www.friend.ne.jp/
[31] 坂本旬 (1997). NIFTY-Serve現代思想フォーラム名誉毀損事件裁判資料 http://server.pie-net.gr.jp/shiryo/saiban/ (28 April, 2000)
[32]梅村陽一郎(1999). 名誉毀損とプライバシー, http://member.nifty.ne.jp/umelaw/meiyo.htm (28 April, 2000)
[33] 情報処理振興事業協会財団法人コンピュータ教育開発センター (2000).Eスクエア・プロジェクト成果発表会資料, http://www.cec.or.jp/e2/seika/ (28 April, 2000)
[34] 電子ネットワーク協議会 (1996). パソコン通信サービスを利用する方へのルール&マナー集 http://www.nmda.or.jp/enc/rules.html (28 April, 2000)
[35] Vector http://www.vector.co.jp/
[36] 窓の森 http:/www.forest.impress.co.jp/
[37] 山形浩生 (1995). What's a Hack? http://cruel.org/freeware/hack.html (28 April, 2000)
[38] Schulz, R. (2000) comp.lang.awk FAQ, http://www.faqs.org/faqs/computer-lang/awk/faq/index.html (28 April, 2000)
[39] GNU Software Foundation http://www.gnu.org/
[40] Stallman, R. (1983). Initial Announcement, Free Software Foundation, http://www.gnu.org/gnu/initial-announcement.html (28 April, 2000)
[41] DiBona, C., Ockman, S., & Stone, M. (1999). OPENSOURCES: Voices from the Open Source Revolution, O'Reilly &Associates, Inc, 倉骨彰訳『オープンソースソフトウェア (彼らはいかにしてビジネススタンダードになったか)』 日経BP社BizIT, http://bizit.nikkeibp.co.jp/it/linux/opensource/ (28 April, 2000)
[42] Raymond, E. S. (1999). The Cathedral and the Bazaar http://www.tuxedo.org/~esr/writings/cathedral-bazaar/ (28 April, 2000)
[43] 顔文字辞書, Vector http://www.vector.co.jp/vpack/filearea/data/writing/dic/kao/index.htm (28 April, 2000)
[44] 電子ネットワーク協議会 (1999). レイティング/フィルタリング情報ページ http://www.nmda.or.jp/enc/rating/index.html (28 April, 2000)
[45]. 悪徳商法マニアックス http://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/ (28 April, 2000)
[46] 国民生活センター http://www.kokusen.go.jp/ (28 April, 2000)
[47] 文部省 (1999). 教育の情報化によって目指すべき目標, 『バーチャル・エージェンシー「教育の情報化プロジェクト」総理への報告について 』 http://www.monbu.go.jp/news/00000413/p02.html (28 April, 2000)
[48] SIF (2000). Overview of SIF, http://www.siia.net/sif/overview.html (28 April, 2000)
[49] CALS推進協議会 (1999). CALSとは? http://www.cif.or.jp/whats_cals/index.html (28 April, 2000)
[50] 文部省 (1999). 関係施策の推進,『バーチャル・エージェンシー「教育の情報化プロジェクト」総理への報告について 』http://www.monbu.go.jp/news/00000413/kankei.html (28 April, 2000)
[51] 財団法人コンピュータ教育開発センター (2000). 協力企業 http://p100.mgt.ipa.go.jp/E-square/cec/kigyouTB.html (28 April, 2000)
[52] School Interoperatability Framework (2000). Members of SIF http://www.siia.net/sif/members.html (28 April, 2000)
[53] マツダ (2000). 平成12年度採用情報 http://www.mazda.co.jp/Jinji/recruit/recruit.html (28 April, 2000)
[54] リクルート (2000). 三洋電機株式会社, リクルート就職ナビ http://www.isize.com/RN/cgi-bin/01/KDB80100.cgi?KOKYAKU_ID=0083698001&MAGIC= (28 April, 2000)
[55] National Telecomunications and Information Administration (1999). Falling Through the Net: Defining the Digital Divide, http://www.ntia.doc.gov/ntiahome/digitaldivide/ (28 April, 2000)
[56] 毎日新聞 (2000) デジタルデバイド調査/「情報弱者との所得格差拡大」http://www.mainichi.co.jp/digital/internet/200004/03/03back.html (28 April, 2000)
[57] National Information Infrastructure Task Force (1994).The global information infrastructure: Agenda for cooperation, http://www.iitf.nist.gov/documents/docs/gii/giiagend.html (28 April, 2000)
[58] Clinton, B. & Gore, A. (2000). The Clinton-Gore Administration: From Digital Divide to Digital Opportunity, http://www.whitehouse.gov/WH/New/digitaldivide/digital2.html (28 April, 2000)
[59] 文部省 (1999). ソフト面の取り組み,『バーチャル・エージェンシー「教育の情報化プロジェクト」総理への報告について 』, http://www.monbu.go.jp/news/00000413/gaiyou3.html (28 April, 2000)
[60] Walker, J. & Taylor, T. (2000). Columbia guide to online styles. http://www.columbia.edu/cu/cup/cgos/idx_basic.html (April 30, 2000)

目次に戻る
講義資料一覧に戻る
平のホームページに戻る
講義関連掲示板