記憶の体制化と想起プロセス
有意味材料と無意味材料
- 有意味材料 − 精緻化リハーサル
-
項目間のつながりに意味を見出すことができる課題
- 無意味材料 − 維持リハーサル
-
項目間のつながりに意味を見出すことができない課題
課題の比較
有意味課題
有意味さをはっきりさせておくと,学習が容易になる(学習対象の量は増える)。
学習対象の量が増えても,記憶に残りやすいし学習しやすい
無意味課題
学習材料の量が少なければ少ないほど,学習が容易。
無理矢理にでも有意味化しておくと,学習が容易になる(記憶方略など)。
無意味材料を前提としたありがちな学習論
- なにかを学ぶときには,たいていの場合は全くの白紙からスタートする。
- なにかを学習するときには,学習対象の量が少ないほど易しい。
- 覚えなければならない項目が増えるほど勉強は難しくなる。
- 繰り返し経験すればするほど,よくできるようになる。
- 基礎・基本は理屈抜きに、意識せずに実行できるまで練習するのが重要である。
- 昔は解けた問題なのに時間が経って解けなくなるのは,解き方など記憶したことを忘れてしまったからだ。
有意味学習から示唆されること
- 有意味にさせるための知識構造が必要とされる。
- ターゲット概念を説明する周辺知識があるほど学習しやすく,忘れにくい。説明に必要とされる知識は増えてもあまり学習を妨げない。
- 同じ例題を繰り返す必要はない。むしろ,
知識の適用条件をハッキリさせるために、文脈を変えるなど,
繰り返しをしない工夫が必要とされる。
- 有効な仮説や知識を作り出すような事例を呈示することができれば,人為的に適切な認知構造を導入することもできる。
- 先行知識・信念があることによって,学習が妨げられることもある。
先行経験の影響
自分に都合のよいように記憶するということは,自分に都合のよいように想起するということ。
たとえば、以下のようなサイトがある。
ユーザー参加型「バカ日本地図」プロジェクト
同種の試みとして今は亡きナンシー関画伯の「記憶スケッチ展覧会」というものがある。
まさに、自分に都合のよいように想起している様子を見ることができるので、機会があれば是非ご覧いただきたい。
- 知識がないから勉強が捗らない
- 学習における不公平・不平等
- 先行オーガナイザーなど
- ウィンブルドンか?コンサートか?彼は何を持っていたのだろうか?
- 推論命題の誤再生と想起
- 目撃者は,いったい何を見ていたのだろうか?
- 先行する知識はすべて有効か?
- 子どもが解けたら,必ず大人も解けるのか?
領域内部の知識相互が関連性のない状態となっていて,だから簡単には頭の中に入っていかない。知識がないから勉強が捗らないということは,少し矛盾した,やや不公平な話のように聞こえるかも知れないが,既存の知識をベースにした学習というのはこのように不公平・不平等なものといえる。
ただし,知識であればどんな種類のものでも学習が捗るかというと,構えの効果でデモンストレートしたようにそんなことはない。また、レディネスや学習に関する生得的な制約で議論したように、学習する対象ごとに難易度が異なる。
まとめ
- 概念に関する意味的な知識
- 改めて書くほどもないが、知識の有意味化は必要である
- 意味を知らずに基礎を繰り返して習得した場合には、
終生覚えている保証がない(分数のできない大学生、
台形の面積を計算できない大学生…)
- 手続き的な知識
- 英単語や漢字であっても、接続的な知識は必要である。
文脈に応じて使い分ける必要がある(e.g.,
『早い』と『速い』を覚えても、
それぞれを使い分けることができないと問題がある)
- どういう場面で使えるかが分かっていないと、
道具として使いこなすことができない
(e.g., ノコギリ、カンナなど日常的な道具は、
利用目的と使い方が非常にハッキリしている)
上記の2つの条件をクリヤーできて、初めて、知識が身についたと言える(のだと思う…)