「学力論争」以前のいくつかの問題について


学校教育講座助教授 平 真木夫

どのような学習方法をとったかと、その方法によって学習した内容がどれだけ残っているかには密接な関係がある。事実、学習者は学習する目的や動機付けに応じて方法を切り替える。その点からも、これら二つの要因の相互関係は自明なことに思われる。

2つの厄介な問題

筆者は大学1年生を対象とした調査を行ったが、大学に入学して2ケ月後の時点で、センター試験の主要科目(英数国)を解く力が半分まで目減りしていることが示された。これは、論証する能力が重視される数学のような科目ですら、暗記科目ととらえられているためである。他の教科も、どう理解するかではなく、機械的な暗記に重点をおいていたことがうかがわれる。暗記をベースにした学習方法を採用した場合、学ぶのを止めると急速に忘れていく。このような学力残存状態はその結果生じたものと言えるからである。

しかし、このような学習方法は、大学受験を目的とした勉強という意味では極めて理にかなっている。だからこそ、受験勉強で学んだ内容をすっかり忘れてしまうという事実に対しても、学習者本人が疑問を抱いたり、不満を感じたりすることがほとんどない。「受験勉強が終わったのだから、すっかり忘れてしまうのは当たり前だ」という姿勢なのである。このような学力は、本学の西林克彦教授の言葉を借りれば「瞬間最大学力」と呼ぶことができるであろうが、これは極端に言えば、どのような内容をどのような方法で教えようとも、全て丸暗記で切り抜ける可能性があることを意味するもので、教師には絶望的な話に聞こえてしまう。

瞬間最大学力と並んで学校知学力も深刻な問題である。学校知学力とは、学校で学ぶ知識が、日常生活のみならず、学んでいる教科以外の教科や単元から遊離してしまっている状態を意味する。換言すれば、学校で学んだ知識を用いて現実を科学的に認識し、自らの知的世界を拡張していくことを放棄した態度ともいえる。

理科の仮想的な観察実験を例に、学校知学力の問題をもう少し詳しく説明してみよう。例えば、振り子がその重りの質量と関わりなく周期は一定であることを確認した上で、どうしてそうなるのか、教師が生徒に理由を考えてみるよう求めたとする。この場合、その理由として、「ドリルの模範解答にそう書いてあったから」と答えたりするケースは学校知学力と言ってよい。観察された事実と無関係、理屈抜きの信念といった形で教科書やドリルがアプリオリに存在し得るということである。瞬間最大学力と同様、教師にとってはこれまたやり切れない問題と言えるであろう。

瞬間最大学力、学校知学力といった問題は、現在語られているような学力低下論争の中で明確に意識されることは少ない。学力の国際比較調査で、日本の児童がトップに立ったとか、少し順位が下がったとか、極めて表層的な問題として学力問題が取り上げられているように思われる。

自力救済型の学力形成論の破綻と対応策

確かに、瞬間最大学力が高かったり、問題を解く能力が理屈抜きに高ければ、残存する学力の期待値も高いため、大学などに進学した後で知識を再構築するのは楽であろう。しかしながら、このような、「勉強する理屈や問題相互の背景に存在する理屈は、学習者が後に自主的に再構築するもの」という、これまで半ば前提とされてきた自力救済型の学力形成論は、過去においては正しかったとしても、現状では成立し難いものになってきている。

これまでの学校教育の中でも、勉強することの意義が生徒たちにはっきりと伝わっていたとはとても言えない。しかし、高等教育機関への進学に対する社会的な圧力が高かったために、学力が瞬間最大値や学校知であったとしても、勉強する行為そのものは何とか維持されてきた。今後は少子化などに伴って受験への圧力が急激に低下していき、理屈抜きに勉強することを耐え難いと感じる生徒が増加していくものと考えられる。つまり、背景にある理屈を追求する前段階で学習を放棄してしまい、知識の再構築を自力で行うところまで到達できない可能性が高いと思われる。

指導要領の改訂に伴って主要教科の学習内容が一律に3割も削減されるような状況では、現在盛んに論じられているように、再構築する基となる知識自体学ばれていないのではないかという問題もある。このような状況下にあっても高い学力を維持していくためには、学習量が多いか少ないか以前の問題として、生徒がどのような目的で学習しているか、どのような学習方法を好んで採用しているかを明らかにしていかない限り、対処療法的な対応しかとれずに破綻してしまうことは確実に思われるのである。


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